先日公表された、文部科学省の科学技術・学術政策研究所の「科学技術指標2021」によれば、日本の論文発表数は減少の一途のようである。とくに、被引用が多いTop10%補正論文数に限れば、大きく順位を下げている。
その要因として、研究費・研究時間の劣化、若手研究者の雇用・研究環境の劣化、研究拠点群の劣化等が指摘されている。いわゆる文科系(理科系・文科系という分類は、私は好んではいないが)に身を置いていて、個人的に最も感じているのは、ブルシットジョブが増えているにもかかわらず、人員が削減されているという点である。それが、研究時間の劣化を招いている。
重要なマネジメントの地位につかない限り、多忙を極めるということはない。しかし、以前はなかったような一つ一つは小さくても煩わしい業務がやたら多いのである。そしてそれらの多くがブルシットジョブなのだ。たとえば、大学の研究教育力の低下ということで課せられたのだろうが、私の大学では、何年か分の自分の目標を、教育、研究、社会貢献などにわけて作文をさせられ、年度ごとにそれを自己評価する。それ自体は大した作業ではないが、何のために行っているのかほとんど意義を感じられず、疲労感を感ずるのである。自分が何をやったかなど、いちいちそれに記入しなくても、リサーチゲートかリサーチマップのコピーを提出すればすむことだ。そして、この種の雑務が多すぎるというのが問題なのだ。次から次へとそういうものが来ると、なかなか一つのことに集中してということができない。これらが、まとまった時間が必要な論文執筆の最大の障害となる。
某大学で聞いたばかばかしい話を紹介したい。ここ何年もの間、日本の一部の私立大学が定員割れで苦境に立っているが、大学も学生集めに苦労しているようだ。それでその大学で各教員に下った号令が、「学生集めに汗をかけ」というものだったらしい。そして、各教員が大学のパンフレットと手土産を持参していろいろな高等学校を訪問するということにエネルギーが注がなくてはいけないらしいのだ。高大接続のために大学の教員が高等学校で時折授業をするというのは悪い試みだとは思わないが、この「汗をかく」訪問が合理的といえるだろうか。論文や書籍の出版を通して、あるいは上質な教育を通して行われる社会貢献が大学本来の役割である。筋違いのことに汗を流すことによって本来の業務に差しさわりが出れば、本末転倒以外何物でもない。「汗をかく」ことを妙に美化する慣習はもう止めてもらいたい。
結局、いわゆる文科系の教員に向けられる目は、「大学の教員は、何年も同じノートを使い、夏休みや春休みは長い優雅な職種」というステレオタイプだろう。そんなことはない。夏休みや春休みは、論文等の執筆や最新の研究成果のインプットの時期で、授業内容も着実に更新されていることを忘れてもらっては困る。
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