前回の記事で家畜化の特徴についてまとめてみたが、本記事では、ヒトがどのようにして自己家畜化されたのか、『善と悪のパラドックス』の筆者のリチャード・ランガムの主張からまとめてみたい。
進化の上で参考になるのは、ボノボとチンパンジーの対比だろう。彼らが進化的に分岐したのは約300万年前で、遺伝子上極めて近い種同士である。にもかかわらず、ボノボは、チンパンジーと比較して犬歯が小型化し、極めて攻撃性が低い。ランガムによれば、ボノボの非攻撃性の進化の大きな要因は生息地で、ボノボが棲むコンゴ川南岸は、山地が少なくゴリラがいないようである。そうすると攻撃性が強いゴリラと争う必要がなく、食べ物を仲間と分け合う習慣や、「ホカホカ」と呼ばれるメス同士の同性愛的行動が生まれたという可能性が指摘できる。さらに、このメス同士の同盟は、チンパンジーに見られるようなオスの暴力を抑制する力となり、攻撃性が抑制されてきたのではないかと推察できる。暴君のオスは、メス全体から排除されるというわけだ。
ヒトの場合も、このような弱い立場とされる側が同盟によって強者の暴力を抑え込むことができたことが、自己家畜化の大きな要因であろう。この視点は、処刑仮説としてまとめられる。つまり、横暴な暴君が、被支配者側の同盟によって処刑されるという慣習によって、攻撃性が抑制されたとする仮説である。文化人類学などの調査の成果から、概して、小規模狩猟採集社会は、私たちが想像する以上に比較的平等で自由なようだ。しかし、この平等は、暴君などに対する私刑あるいは死刑によって支えられていると考えられている。このような社会では、死刑は秘密裡に行われ、関係者以外は、横暴な首長が消えたという事実しか分からないらしい。そして、暴君は殺されるらしいという噂だけが人々の間に伝えられて、「食べ物の独り占めは止めよう」などのモラルが浸透していく。
これは、アーネスト・ゲルナーの用語を借用すれば、「いとこたちの専制」である。つまり、王を取り巻く実力者たち
(古代社会では、いとこである場合が多いようだ) が、王を暴君にしないように見張り、権力がだんだんと集団合議制に移っていくという現象である。この「いとこたち」の代わりに、ボノボと同じように、女性の同盟によって暴君が処罰される場合もあったと思われる。ちなみに、本年度の大河ドラマである『鎌倉殿の13人』もそれに当てはまるかもしれない。なお、処刑仮説に対して、首長が集団内の評判を気にして攻撃性を抑制するという評判仮説も有力とされてはいる。しかし、大きな権力を握った暴君は評判を気にしないのでこの影響は少ないはずという問題点がこの仮説にはある。
さらにヒトの場合は、社会的哺乳類として進化する中で、高い知能、高度な協調性、社会的学習といった能力を身につけた。これらの能力が、攻撃性はペイしないということの学習を可能にし、それが抑制されてきたのだろう。
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