2021年7月30日金曜日

後知恵なのかもしれないがー東京オリンピックと感染者数の増大

  この新型コロナウイルス蔓延状態の中で東京オリンピックを実施するのか。2021年の春先からの国民的課題だったが、現時点で、感染者数の増大という多くの国民が危惧していたことが起こりつつある。私自身は、オリンピックを実施した場合のさまざまな経済効果や感染者数増大による死者・医療崩壊など、そういったことを複数の視点からパラメータを当てはめてシミュレーションをした結果を国民に示したうえで、実施するかどうかを決めてほしかった。しかし、実施ありきが政府がもっていた当初からの結論のようであった。目的が、経済的な問題なのか、IOCへの忖度なのか、あるいは政治家の実績つくりなのか、結局わからないままである。

 東京オリンピックを実施するのなら、感染対策をもっと厳しく行うべきである。入国の水際対策といいながらザルのような検疫を放置し、バブル方式と呼びながら、バブルははじけるは、バブル内で感染が広がるはで、なし崩し的にきまりが守られなくなっている。バブルに閉じ込められた選手から不満が出れば、それに対してきちんと説明をして説得をしなければならない。「不満があるから」と緩めていけば、ウイルスが広がるのは当然だ。せっかくワクチン接種が進む中、変異株が次々と国内に入ってくれば、元の木阿弥どころかもっとひどくなる可能性もある。

 選手や彼らを取り巻く人々にも苦言を述べたい。プレー中の選手への、観客席からの選手団による声援は禁止されているはずではないのか。ある柔道選手への「○○」コールは見ていて見苦しかった。またパブリックビューイングをしないと言っておきながら、特定の選手のご当地の小学校や中学校での集まっての応援が普通に行われている。某水泳選手への絶叫しながらの応援は、いくらマスクをしていてもとても感染を防ぐことはできないだろうし、おそらくこういう光景が日本のいたるところで見られるのだろう。これらは、感染拡大を防ぐためにはしてはいけなかったことなのではなかったのだろうか。

 この感染爆発で、多くの人々が苦境にあえぐことになる。私自身は経済的な影響は少ないが、親しい人が入院してもお見舞いに行けなかったし、大学での教育活動、研究活動、学会の開催に大きな支障が生じている。とくに、私がよく参加している学会は2年連続オンラインとなっており、おそらくその不利益を最も被るのは学会デビューした大学院生たちだろう。ウェブの学会では、他大学の研究者との交友関係を築くのは不可能に近い。このような交流は、5年後、10年後に実を結ぶものである。

 この時点で判断できることは、後知恵かもしれないが、オリンピックは実施すべきではなかったということだ。これだけの感染者増とそれに伴うさまざまな不利益を考えれば、即刻中止が望ましい。正直、とても浮かれる気分にはならないし、たとえば、日本と対戦したサッカーのフランスチームのように、調整不足なのかミスだらけの試合を見せられても少しもおもしろくないし、勝っても喜ぶことはできない。感染の爆発的拡大、ベストとは程遠いパフォーマンス、テレビは不愉快な喧騒の嵐、商業オリンピックは真剣に見直す時期にきているのではないだろうか。とりあえず東京オリンピックは今からでも遅くはないので中止にしてほしい。

2021年7月9日金曜日

International Conference on Thinking 2020参加記―モラル推論・陰謀論・社会的分断

  International Conference on Thinkingは、4年に1度の思考心理学の学会である。本来なら昨年にパリで行われるはずだったが、今年に延期となり、結局はオンラインでの学会となった。この学会は、毎年行われていたLondon Reasoning Workshopとともに私を研究者として育ててくれた学会で、知己の研究者が多いのだが、実際に会うことができずに本当に残念だった。また、パリ時間を中心として世界中から参加できるオンライン形式なので、日本は毎日夜の10時スタートとなった。そのため、たとえば、Steven Slomanなど、聞きたかったいくつかの基調講演に参加できなかったのが残念である。

 近年の思考心理学の大きなテーマに、モラル推論や陰謀論がある。また政治的分断の説明に適用されている発表もあった。いずれも、人間の認知機構に直感的システムと熟慮的システムを仮定する二重過程理論の適用であると同時に、これらの材料によって、この理論そのものの発展が促されている。モラル推論研究は、非常に有名な「トロリー問題」に端を発したものが多く、功利論的推論が行われるのか義務論的推論が行われるのかが問われていた。概して、1人を救うよりも5名を救う方がよいとする功利論的推論は熟慮的システムによって、「人を殺しちゃダメ」という義務論的推論は直感的システムによって行われると想定されるが、例外も多く、それらをどのように扱うかなどが議論されていた。

 妄想的思考(delusional thinking)研究の一環としての、陰謀論研究も散見された。代表的な妄想的思考に結論飛躍バイアスがある。一般に、結論を導くときにはいくつかの前提が精査されるものだが、これは、一つの、たとえば、ある女性がちらりとこちらを見たという前提から、彼女は自分を愛していると結論づけるような妄想的思考である。陰謀論もこの一種で、自分が固執する結論があり、その結論が導くことができるような陰謀をストーリーあるいはナラティヴとして構成されていくとその非合理性が説明される。

 政治的分断もそのような固執が問題になっている。一般に、批判的・分析的思考ができれば、思考スタイルは科学的になる。そして、実際、批判的・分析的思考ができる人ほど、地球温暖化の主要因は二酸化炭素の排出によるものだと考えている (おそらく、これは科学的にかなりの確率で正しい)。ところが、基調講演のGordon Pennycookによれば、トランプの強固な支持者たちにおいてのみ、批判的・分析的思考ができる人ほどそれを信じなくなるようだ。つまり、二重過程理論の熟慮的システムは、非科学性を修正するというよりは、自分の強固な信念を合理化するために使われたというわけである。これは、ちょうどJonathan Haidtの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』の中で示されている、熟慮的システムが、ありえない確率のリスクを自分の直感的嫌悪を合理化するために指摘する例と似ている。D. ヒュームが言うように、まさに「理性は情念の奴隷」なわけである。このような思考傾向が政治的分断を招いている。

 私自身も発表を行ったが、この内容は論文になったときにでも紹介したい。次回は、2024年にミラノで行われる。ぜひ行きたいものだと思っている。

2021年7月2日金曜日

科学基礎論学会奮戦記―「思考の文化差—地勢的・生態的要因から文化多様性を考える」

  そもそも会員でもない私がなぜ科学基礎論学会に出席したのかというと、大会委員長の佐金先生に講演を依頼されたからである。この学会は、学際的で他領域に開かれていることを実感したのだが、毎年主催校の他領域の研究者が講演を行うというルールがあるようだ。私が現時点で発表できるテーマは、「文化多様性をどのように説明するのか」と「理性が野生をどのように飼いならすか」だったが、学会の主要メンバーの先生から前者が良いとのことで、「思考の文化差―地勢的・生態的要因から文化多様性を考える」というタイトルでお話しさせていただいた。

 講演のベースは2019年に発表した論文(Yama & Zakaria, 2019)である。この論文では、東洋人の矛盾を受け入れやすいという弁証法的思考傾向・素朴弁証法的な世界観が、西洋人と比較して東洋人のほうがコミュニケーション時に暗黙の了解や常識(コンテクスト)により依存するとするエドワード・ホールの主張 (西洋人の低コンテクスト文化・東洋人の高コンテクスト文化) を根拠にして、少々の矛盾はコンテクストによって解決できるという規範が東洋人に共有されているとして説明されている。

 ただし、本講演のハイライトは、この説明を地勢的・生態的要因に結びつけていくという点である。この試みは、Yama & Zakaria (2019)の論文でも展開されているが、この講演ではそれをもう少し体系化した。比較文化研究においても、生態的要因によって文化差を説明しようとするものがあるが、主として稲作などの生業レベルの「生態」が用いられている。私は、低コンテクスト文化が形成されやすい要因として異文化交流があるとし (異文化交流では、話し手と聞き手でコンテクストを共有しにくいからである)、そして異文化交流の生態的源泉は、異文化交易の利得が大きな状況、すなわちたとえば黒曜石のようなリソースの偏在と、そのような交易を可能にする河川やウマ・ラクダなどの手段の存在という地勢的・生態的要因にあるとした。

 この発想の原点は、ジャレド・ダイアモンドによる『銃・病原菌・鉄』の中で貫かれている「民族の優劣といった概念に頼らずに、地勢的・生態的要因によって世界の文明的発展の不均衡を説明する」という姿勢である。私も、文化多様性が生まれる中で、遺伝子頻度による説明は不要とまでは言わないが、この姿勢は見習いたいと思っている。さらに、この説明は、私たちの祖先が67万年前にアフリカを出て世界中に散りながらそこで独自の文化を築き上げたというビッグ・ヒストリーにも貢献できると考えている。私に『銃・病原菌・鉄』のような書籍が書けるのはいつになるかわからない。しかし、細々とでも良いので一歩一歩目標に近づきたいと願っている。

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