2021年4月1日木曜日

日本のジェンダーギャップ指数の異様な高さについての雑感―勤勉革命の負の遺産?

  日本は、比較的産業が発展し、民主化が進んだ国であるはずなのだが、ジェンダーギャップ指数は相変わらず異様に高く、先日、120位という報道があった。「異様」と呼びたいのは、ジェンダーギャップ指数は、その国の民主主義の度合いや、非属人性(法やルールなどの適用が、被適用者が誰かということと無関係であること)の高さと関係が深いが、日本は民主主義や非属人性がかなり高いにもかかわらず、この指数が低いからである。120位というのは、かなり非民主主義的な国よりも低いといえる。この問題は掘り下げてみる必要があると思うが、「日本人男性の意識が変わらないから」等ではとても回答にならない。日本よりも非民主的なのではないかと考えられる国でも、似たような状況のはずなのだが、ジェンダーギャップ指数は日本よりも低いからである。ここでは、産業化や脱家族主義化の途中で迷い込んでしまった日本特有の袋小路について考えてみたい。

 拙著『生きにくさはどこからくるのか』でも、昨年度の理論心理学会のビデオ講演でも述べたが、戦後70年の人権意識の高まりは、産業化による豊かさが教育の普及をうみ、教育の普及が民主主義をもたらしたとして説明できる。実際、多くの国において、殺人・暴力や紛争だけではなく、差別は減少傾向にある。日本も例外ではないはずなのだが、このジェンダーギャップ指数が高いままなのだ。

 注目すべきは、日本を産業化し、豊かにした要因の特異性だろう。非欧米圏でいち早く産業化に成功した重要な要因と考えられるのが、勤勉革命と脱ネポティズムであるといわれている。勤勉革命(industrious revolution)とは、すでに下記の記事でも紹介したが、産業革命(industrial revolution)とほぼ同じ時期に日本で起きた、家畜が行っていた労働を人間が肩代わりする資本節約・労働集約型の生産革命である。これによって形成された勤労観が、現代の長時間労働に大きな影響を与えていると考えられる。この勤勉革命精神は、明治以降の、あるいは太平洋戦争後の産業発展の大きなエネルギーになったのではないかと思われるが、一方で、IT化などの効率や合理化などへの憎悪をもたらし、それが非生産的な長時間労働に結びついている。

 働き手が長時間労働になると、家事や子育てに支障が生ずる。家事は、家電製品の普及により、この50年で随分と軽減されたが、子育てはそうはいかない。家事の軽減で、前世紀の遺物である「寿退社」は随分と少なくなったが、子育ては、いくらイクメンが増えたとはいえ、やはり女性の社会進出の大きな障害になっている。仕事を持っていても、保育園に子どもを迎えに行くために長時間労働をあきらめれば、管理職等への昇進の確率は低くなる。しかし、もし三世帯同居などの大家族ならば、妻に代わって子どものめんどうをみる人員がいるので、子育てはあまり社会進出の妨げにはならない。大家族によって比較的ジェンダーギャップ指数が低くなっているアジアの国が、タイ(75)やシンガポール(54)である。アジアの中では、日本はかなり非家族主義的でネポティズムの度合いは低い。儒教国からは反儒教的で野蛮とも評されてきたが、一族の誰かが経済的に成功するといろいろな親戚がたかりに来るということも他のアジア国と比較して少なく、この非ネポティズムが、近代的な企業を促進させた。しかし同時にアジアの中でいち早く核家族化をもたらした要因にもなっているが、核家族だと、子育ては妻の負担となりやすい。

 つまり、勤勉革命精神の長時間労働と核家族がこのジェンダーギャップ指数の高さをもたらせているといえるだろう。この袋小路から抜け出すためには、この無駄な長時間労働の短縮と、長時間労働を美徳とする勤勉革命精神を捨てるべきだろう。働いた時間よりも、成果主義を取り入れれば、存外簡単に解決する問題かもしれない。

 

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