いろいろとアクシデントがあった大河ドラマ『麒麟がくる』だったが、非常に面白かった。1月8日の記事で、本能寺の変の要因が『麒麟がくる』では、諸説ある中からどれが採用されるかを予想したが、あまり当たらなかった。「狡兎死して走狗烹らる」説は採用されなかったようで、佐久間信盛の追放は、ワンシーンがちらりと放映されたが、それで明智家中が動揺という記述はなかった。また、徳川家康の長男である信康の自害についても、それが自分に及ぶことを光秀が心配したような描写もなかった。まあ、1月8日の予想は惨敗ということである。
ドラマで描かれたのは、信長による、光秀、正親町天皇、足利義昭への非道と、信長自身が自分を制御できなくなっている苦悩だった。「夜もゆっくり眠りたい。長く眠ってみたい」というセリフは、光秀を謀反に誘っているようにも聞こえた。そして、光秀を追い詰めた「将軍義昭を殺害せよ」という命令は、殺害が目的というよりは、光秀の忠心を試しているようだった。「私を好きだったら○○して」と無理難題をふっかけて恋人を困らせているのと何ら変わりはない。ドラマでは、母親の土田御前に愛されなかった信長には「人に喜んでもらいたい」という強い承認欲求
(実は心理学で、こういう用語があるのかどうかよくわからないのだが) があるという設定になっていたが、それがこのような忠心の確認としての非道となり、本能寺の変の要因の一つになっているようだった。
また、信長近習の森蘭丸の、光秀への「上様に粗相をなさったな。無礼であろう」という激しい口調のセリフも妙にひっかかりがある。この背景はドラマでは描かれておらず、視聴者の想像を刺激しただけだが、蘭丸のような若い近習が功績がある重臣にこのような叱責が許されるということは、近習が文治派として信長政権の中で台頭しつつあることを示していないだろうか。ちょうど、結果的に豊臣政権を崩壊に導いた武功派
(加藤清正や福島正則) と文治派 (石田光成や大谷吉継) の対立が、信長の時代にも起きつつあるということとを想像させてくれるのである。豊臣政権では武功派の勝利を家康がちゃっかりと利用したが、信長政権では本能寺の変となった。
こうして見ると、佐久間信盛の追放と信康自害の強要説は不採用だったかもしれないが、「狡兎死して走狗烹らる」説は、あながち的外れとは言えないかもしれない。近習が、走狗を烹るお手伝いをしているというわけだ。ドラマは歴史的事実
(これとて、確実というわけではない) に必ずしも忠実である必要はないが、非常にリアリティがある描き方で、見応えがあったと思う。
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