失言は、スローな直感的システムとファストな熟慮的システムを想定する二重過程理論からみて興味深い現象である。いわゆる「本音」を構成するファストをスローが制御できなくなって、ポロリとやってしまうのが失言の代表的なものであろう。ファストには人間としての欲望が渦巻いているのが当然なので、ファストをスローが制御しながら生きている人間に対して、「裏表がある人間」という嫌悪感を抱くようなことは、私自身はあまりない。人間はある程度は裏表があって当然であり、不道徳な欲望を消し去ることができた聖人は別として、多くの普通の人たちは、社会で受け入れられにくい欲望を言動に直結させないようにスローによって制御しているのが現実だからである。しかし失言は、この制御不能の結果であり、それが公的になれば看過できないのは当然であろう。
元首相で東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長である森喜朗氏は、失言が多いことで有名である
(今や、海外にまで知れ渡ってしまった)。スピーチが上手いと評されてもいるが、それは、後援会やある特定の団体などにおけるその場でのウケ狙いが成功してきたためだろう。聴衆に迎合したり、ご機嫌をとったり、あるいはその場でのウケを狙ったりしての発言は選挙での集票に有効かもしれない。しかし、ウケはその集団内だけでのことであり、外部に漏れると失言ということになる。代表的な例が、2000年5月の神道政治連盟国会議員懇談会における「日本は神の国」失言だろう。森氏が、このような「日本は神の国」という考え方や「神とは何なのか」という定見をもっていたかは定かではないが、少なくともこの状況では、森氏自身は「ウケる発言」と考えたのであろう。
そういう意味で森氏のこれまでの失言は、比較的害が少ない「状況依存型」と名付けたい。しかし今回の、
「女性っていうのは競争意識が強いんです。誰か1人が手をあげて言うと、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです。前の発言に関連したものではなく、思いのままに」
は、森氏のファストにおける本音をスローが制御できなかった例である。あるいは、男性がヘゲモニーを示している集団で、これを言えば「ウケる」とも考えていたのかもしれないが、「ウケる」どころか受け入れがたい森氏の本音が十分に伝わったという点で「制御不能型」と呼んでおこう。
この発言には2つの大きな問題がある。第一は、「女性っていうのは競争意識が強いんです」という、どうしようもないステレオタイプ的視点である。競争意識に性差があっただろうか? 仮に、百歩譲って、女性の競争意識の平均値が男性のものよりに高いとしても、競争意識が高い男性や低い女性も多く混在しているはずで、このようなステレオタイプ化は、有害なバイアス以外の何物でもない。
第二は、この文言の背景にある女性への強烈な蔑視と敵意である。おそらく会議などで「対抗するように思いのままに発言」する人は男性にも多いと思う。しかし、女性の発言のみについて「競争意識が強いから」と述べて迷惑千万と断言する態度は、少なくとも平等的人権意識をもっている人間には看過できないものになる。端的にいえば、「女は黙っとれ」というファストからの強烈なメッセージなのである。
こういう人間が文教族として日本の教育に大きな影響を持っていたと思うとぞっとする。また、組織委員会は森氏をトップのままにしておくのだろうか。これでは、組織委員会だけではなく、日本人全体が彼の態度を容認していると、世界が認識すると危惧するのだが。
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