初の年越しの大河ドラマとなったが、『麒麟がくる』も大詰めを迎えてきた。ここにきて、この作品において本能寺の変の要因がどのように描かれるのかが視聴者の興味を掻き立てているようだ。歴史の専門家の間では、怨恨説、義憤説、黒幕説など、さまざまな議論がなされているようで興味深くはあるが、私は歴史の専門家ではないので、歴史的にどの説が妥当なのかは判断できない。
しかし、『麒麟がくる』ではどの説が採用されるのか、一視聴者として推理ドラマを楽しむようにいろいろと思案できる。配役という点で気になる存在が、金子ノブアキが演ずる佐久間信盛である。ドラマでは、信長の家臣団の中で重要なはずの滝川一益と丹羽長秀が登場していない中で、信盛がかなり大きな役になっている。この理由として、本願寺攻めなど光秀と接することが多かったためだろうということは推測できる。しかしそれ以上に、佐久間信盛が、本願寺との戦いが終結した1580年に、信長から19ヶ条にわたる折檻状を突きつけられて追放されていることが大きいのではないだろうか。追放の後にこの佐久間軍団を任されたのが光秀だが、明智家中には「明日は我が身」と思った者もいたようだ。古典に詳しい光秀なら、史記の「狡兎死して走狗烹らる」を知っていただろう。なお、信盛は本能寺の変の5ヶ月前の1582年に高野山または熊野で死去しているが、これも光秀にはショックだったのではないだろうか。本能寺の変は宿敵の武田氏滅亡の2か月後だが、本願寺の後は佐久間(信盛以外に、宿老の林通勝や美濃衆の安藤守就も追放されている)、武田の後は次は誰だろうかと猜疑心が増していったのは十分に想像できる。
もう一つの要因は徳川家康である。1月3日の放映で、「信頼できるのは明智のみ」というセリフで、ネットでは家康黒幕説が騒がれた。しかし、家康を黒幕とすると、なぜ変の後に三河にすぐに逃げ戻らなければならなかったのかなど、いろいろと無理が生じてくる。注目したいのは、家康の息子である信康である。信康は、実母の築山殿とともに武田との内通を疑われ、本能寺の変の3年前の1579年に信長の強い意向で、家康の命で自害させられている。ドラマで築山殿は、そりゃ織田に嫌われるだろうろうと思われるセリフを嫌味ったらしく述べていたが、信康を自害に追い込まざるをえなかった家康の悲しみは大きかったはずである。息子がいた光秀も、これは他人事ではないと考えざるをえなかったのではないだろうか。
このように、功臣が徐々に生贄にされていくのを横目で見ているうちに、信長および嫡子の信忠が無防備に近い状態で京都に滞在という絶好の機会が訪れ、突発的に変を起こしたというのが『麒麟がくる』で採用される要因ではないだろうか。ただ、ふと考えてみれば、信長は、家臣や服属大名に何度も裏切られている。光秀以外に、実弟の信行、浅井長政、荒木村重、松永久秀の名前が挙がる。彼らがなぜ裏切ったのかについてはさほど議論とされず、なぜ本能寺の変だけがミステリーとされているのかもちょっと不思議な気がする。変のあざやかな成功と、その後の山崎合戦にいたる光秀らしからぬ緻密さの欠如が、人々の想像を掻き立てるのだろう。
歴史の専門家ではないと謙遜されていますが、本能寺の変に至る数年間に起きた事件をしっかり追いかけられていますね。たしかに、このころの光秀の心境を考えれば、いつかは自分もという猜疑心がどんどんふくらんでいくのは当然でしょうね。私がもう一点挙げるとすれば、秀吉の存在ですね。信長に仕えたのは自分より早かったものの、身分ははるかに下だったのに今では自分と肩を並べる存在。これも光秀にとって大きなプレッシャーになっていたのではないでしょうか。
返信削除コメントありがとうございます。確かに、本日(1月10日)の『麒麟がくる』では秀吉の存在が不気味でした。また、来週は正親町天皇に光秀が呼ばれるみたいで、朝廷陰謀説もかなりクローズアップされそうです。いずれにしろ、要因は一つではなさそうです。
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