長老支配とは、高齢の政治家によって支配される政治体制を指すが、政治だけではなく、学界やマスメディア、伝統芸能、芸能人、スポーツなどにおける年長者が支配している体制をも含めている。これは古い習慣が単に残っているだけなのだろうか。ちょっと気になって調べてみるといろいろと興味深い要因が浮かび上がる。
私自身は、長老が尊敬されるとすれば、それは知識の蓄積と伝承がより重要になった時代になってであって、知識より体力が優先される時代や常に飢餓の心配があって「働かざる者食うべからず」のような時代には、身体が弱くなって生産性が低い老人は尊敬されていなかったと思っていた。日本の各地に残されている姥捨ての伝承がそれを物語っている。
ところが、狩猟採集民の民族誌的な研究から、年長者がかなり崇敬されているということが推定されているようだ。狩猟採集民といえども体力勝負だけではなく、伝統的な知恵・知識が貴重なのである。動植物についての知識と狩りの方法、さらにたとえば旱魃に陥ったときにどこに移動すればよいかなど、年長者の知識蓄積と世代伝達能力は私たちが想像するよりも、はるかに貴重なようである。
さらに、このような環境では、医療が未発達で多くの人々が若くして命を失う。そうした状況で、年長者は長寿であるという理由だけで尊敬される。病気にならず、生き延びるための知恵を持っているかもしれず、また、長寿のためのまじないなどに精通している可能性が高い。さらに、概してこのような伝統的社会では、呪術や儀式などが重要分野となるが、それらの知識の伝承に長寿者は不可欠なのである。
長老支配の形成にこのような要因があるならば、年長者への崇敬は、狩猟技術の革新や宗教の萌芽が見られたおよそ5万年前の文化のビッグ・バンのころから本格的になったのかと思う。しかし、もう一つの可能性として、生殖年齢を過ぎた後の長寿と関係しているとする見解もある。この長寿は、文化伝達が非常に重要なヒトにのみ見られる現象(狩りのスキルをかなり学習に依存しているシャチにも見られるそうだが)で、最も近縁のチンパンジーでさえ観察されない。ヒトにおいては、生殖を終えた祖父母の文化伝達における役割が大きく、年長者が崇敬されるようになったというわけだ。
ただし、役立つ知識が年長者ほど蓄積されるというのは、社会や環境が比較的安定した状態に限られるようだ。変化が大きいと昔の知識が役に立たなくなる。現代は、科学の発展が異常に速く、知識を次々に更新していないといけないが、このような状況は人類史においてかなり稀なことである。このような状況では、新しい知識を取り入り入れることが苦手な高齢者は、残念ながら崇敬されない。だからこそ「老害」という呼称は止めるべきなのだ。弱者への差別的侮蔑語以外何物でもない。
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