2020年12月3日木曜日

不覚にも涙がー『すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』 (ネタバレ注意)

  昨年台南を訪問したとき、ホテルの近くの百貨店で「すみっコぐらし」のキャラクター商品を見つけ、sumikko gurashi kokoga ochitsukundesuというメッセージに思わず共感を覚えて買ってきたのが写真のペンケースである。当時、このキャラクターについて私は全く知らなかったのだが、台湾で大人気とのことだった。また、『すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』というタイトルで昨年映画化もされているようで、先日、TVでそれを見てみた。

 主要登場キャラクターは、ペンケースの中の図でいえば、前列左から、とんかつ、とかげ、ねこ、後列左がしろくま、右がぺんぎんである。私のペンケースではぺんぎんが大きく描かれているが、このぺんぎんは自分がぺんぎんであることに自信がなく、アイデンティティの危機という状態のようだ。彼は、昔は頭にお皿があったのではないかという疑念が常にあり、その証拠にキュウリが好きなようである。

 映画のストーリーは、彼らがよく行く喫茶店の地下室で見つけた「世界の童話」の絵本の中に入ってしまったというところからメインの展開を迎える。絵本の中で、すみっコたちは、「桃太郎」、「マッチ売りの少女」、「人魚姫」、「アラジンと魔法のランプ」など、いろいろな世界を駆け巡るのだが、そのうち、これまでずっと一人だったという、灰色のひよこに出会う。ひよこは、自分が誰だかわからないようで、アイデンティティ危機のぺんぎんは、大きな共感を抱くようになる。

 あるとき、何羽かの白鳥がやってくる。灰色ひよこは「みにくいアヒルの子」だったのかと白鳥のところに寄って行くが、そこに本物の「みにくいアヒルの子」が現れて、白鳥に変身していく。ひよこはそれを見ているだけだった。私は、「えっ? 違うの?」と叫んでしまった。悲劇はさらに続く。元の世界への出口を見つけたすみっコたちは次々と戻っていくのだが、絵本の中の住人であるひよこは戻ることができない。ひよこをどうしても連れていくことができないことを知ったすみっコたちは、泣く泣くひよこを残していくが、私は不覚にもここで涙が出てしまった。

 ひよこは絵本の見開きの真っ白なページに誰かがいたずらで描いたもののようだった。真っ白なページにぽつんと一人なので、ずっと友だちもいなかったのだ。これを知ったすみっコたちは、そのページに何羽かのひよこを描いてエンドとなる。これはハッピーエンドなのだろうか。絵本の中というファンタジーの異界でのぺんぎんとひよこの結びつきは強固だった。しかし、ひよこを自分たちの現実の世界に連れてくることはできない。異界から来た異人が異界に戻らなければいけなかったり (かぐや姫や羽衣伝説など)、異界から一人戻ってきて現実に戻れなかったりする (浦島伝説や寒戸の婆)話は多いが、異界が真っ白なページという想定はほとんどないのではないだろうか。

 異界を、自分と対比される他者と考えてみよう。他者という存在は、強く結びついたと思っていても、実際にその人のことを完全に知ることができるわけではない。また、その人の主観を体験できるわけでもない。この不可知性が寓意として映画で表現されているという解釈は考えすぎだろうか。あひるのページにお友達をたくさん描くという行為は、その不可知性の中での、できる限りの大切な努力なのである。



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