2020年12月7日月曜日

皇室って必要なの?(1)―公務って何?

  秋篠宮家の長女の結婚について、相手の小室氏にいろいろと難があるということで問題になっている。日本においては、結婚は両性の合意に基づけばよいはずなので、双方が気に入っていれば、問題なく結婚できるはずであろう。しかし一方で、多くの国民の間では、歓迎ムードとは程遠い状況が続いているようだ。

 この問題は、結局は、天皇・皇室という、人間には自由と平等があるという現代の理念とどうみても矛盾する制度あるいは存在に帰着するのではないだろうか。もちろん残念ながら人間は結果的に平等とはならない。裕福な家庭と貧しい家庭、裕福な国と貧しい国、民主主義国家と独裁国、どこで生まれるかによって人生は大きく変わってくる。しかしわざわざ皇室という制度を作り、そこで生まれた人間には職業選択や結婚の自由を与えないというのは、普遍的な人権としての自由にかかわる大きな問題だろう。一方で、皇族による「公務」という世の中の役に立っているのかわからない仕事や、「名誉総裁」というわけがわからない皇族のポストに、国民のどれくらいが納得しているのだろうか。たとえば災害などがあって、自分自身がボランティアをしていたり、被災民だったりするとき、そういう極限に近い状態で、天皇や皇族に来てもらって満足するだろうか。そういうとき、メディアでは美しい話が出来上がるが、正直、迷惑と思っている人がかなり多いはずだ。このような活動に税金が支払われて、「皇族方が公務で多忙」といわれても、「だったら、やめたら?」としか言いようがない。また、幸い、私が所属している学協会には皇族を総裁あるいは名誉総裁としているものはない。もし名誉総裁という皇族用ポストがあったりすると、学協会の運営面で正直迷惑以外何物でもないだろうし、皇族を名誉総裁に頂くとその学協会が有利になるような慣習があるとすれば、それはそれで問題視されるべきだろう。また、迷惑がられているのを肌で感じながら、○○殿下と呼ばれて総裁に就任するのも辛いだろうなとも拝察する。

 日本の文化継承としての皇室は必要なのかもしれないし、私も天皇制を廃止して、アメリカ合衆国やドイツ、フランスのような国にしろとまでは言わない。しかし、公務がこなせないので宮家を増やすとか、皇女という制度を新たに設けるという案には一国民として、とても賛成はできない。不要な公務をわざわざ用意しているとしか思えない。皇室と国民双方を互いに幸せにしない制度は、ウインウインどころかゼロサムゲームにもさえならない。私も、これまでは皇室には中立的だったが、今回の一連の騒ぎで、なぜこんな人たちに税金と名誉職が必要なのかという疑念が大きく膨らんでいる。

 関連記事

かなりはまる『ダウントン・アビー』 (3)―貴族の価値観と労働運動、それぞれの人生


0 件のコメント:

コメントを投稿