2020年7月11日土曜日

オリエンタリズム的パターナリズムに燃料を与えた習近平-香港の国家安全法

 中国が香港に対して国家安全法 (正式には中華人民共和国香港特別行政区国家安全維持法) を成立させて、630日をもって施行された。1997年に香港が英国から中国に返還されたときの約束である一国二制度を潰し、言論・表現を中心とするさまざまな自由を制限する習近平のやりかたは、国際的にも大きな批判を招き、香港の人々の反発を買っている。返還から二十余年後にまさかこういう事態になると想像していた人は多くはないだろう。返還が決定されてから、多くの人々が中国共産党を嫌い、カナダをはじめとする海外に逃げたが、これからも逃げる人は後を絶たないのではないだろうか。

 このことが民主主義からの大きな後退であることはこれまでいくつかの記事で述べてきたが、もう一つ、私は、アジア人としてこの状態を非常に悔しく思っている。香港は、アヘン戦争のあと、1842年に英国と清との間で締結された南京条約によって、清から英国に割譲された。この経過について、陳舜臣の『阿片戦争』を読んでの私の感想なのだが、大英帝国の帝国主義の最も醜い部分を見せつけられたという印象だった。そういう経緯を踏まえれば、この返還は、香港の人々にとって大きな喜びになるはずなのだが、現実は反対である。中国共産党は、これはおそろしく屈辱的なことだと認識すべきだろう。

 拙著『日本人は論理的に考えることが本当に苦手なのか』では「19世紀の亡霊」と表現したが、西洋列強による植民地化がすすんだ19世紀には、人類の中で優れているのは西洋人であり、アジア人やアフリカ人は劣等民族であると考えた人々は多かった。ヨーロッパ人にとって、中東以東は、歴史的にキリスト教徒は異なった異質で不気味な人々が住んでいるところであり、それが「オリエンタリズム」という概念にまとめられている。オリエンタリズムは、19世紀の西洋列強による植民地化を正当化するために用いられ (本当にそう信じていたのか、自分たちの罪悪感を緩和するために用いられたのかわからないが)、「劣った彼らは西洋人による庇護と啓蒙が必要だ」というパターナリズムに結びつけられている。このアジア・アフリカ観は、ナポレオンのエジプト遠征や英国によるインドの植民地化の過程で顕著に現われていたようだ。映画『英国総督・最後の家(Viceroy's House)』でも、インド独立の際に、「彼ら(インド人)が自分たちで統治できるのか」という英国人の発言があったと記憶している。なお、日本が朝鮮半島を併合するときにも、同じようなパターナリズムを援用しているようだ。

 アジア人としての私たちは、このオリエンタリズム的パターナリズムを、歴史的行動によって否定していかなければならない。19世紀の亡霊は葬られなければならないのだ。独立あるいは返還後に「やはりアジア人やアフリカ人ではダメだな」と思わせてはいけないのである。しかるに、この香港のケースは、英国人の心の中のどこかでくすぶっていたオリエンタリズム的パターナリズムに燃料を与えただろう。もちろん公的には発言できないことだが。

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