5月31日の記事で、『「生きにくさ」はどこからくるのか―進化が生んだ二種類の精神システムとグローバル化』が出版予定であることを書き、前書き部分を一部修正して紹介した。これが無事に出版された。2015年に『日本人は論理的に考えることが本当に苦手なのか』というタイトルの書籍を出版していただいたが、この本は「日本人は情緒的だから論理的ではない」という俗説を否定するためのものだった。そして今回は、「「人類は豊かになったが、精神が貧困になり、モラルを失った」、これが「生きにくさ」の原因である」という通説・俗説を否定するためのものである。
第二次世界大戦後、豊かになるにしたがってモラルが低下したわけではないという記事は、このブログでも何度か書いた。モラルに沿った行動が増えたかどうかという調査は難しいが、犯罪などの統計から、現代は明らかに殺人や暴力が減少しているのである。また、大戦後の世界的潮流として、人権意識が人々の間に浸透している。人種差別や性差別はまだまだ根絶してはいないが、それでも1960年前後と比較すると、この50年で大きく変化している。本書は、この変化を、認知的容量を備えた進化的に新しい認知システムによって、差別意識などの進化的に古いシステムからの望ましくない出力が修正されてきた歴史として記述している。
タイトルから、「生きにくさ」に焦点が当てられている印象を持たれるかもしれないが、私としては、ビッグ・ヒストリー系の「現代論」として書きあげたつもりである。現代論というと、現代の芸術であるとか、現代の情報社会であるとか、ポストモダンとしての現代など、それぞれの領域において数多く議論されている。本書は、社会的哺乳類として進化した人類が、「マインドリーディングマシン」と「社会的契約・交換マシン」を進化させ、それらのマシンを、認知的容量をもった進化的に新しい認知システムが制御してくという視点で文化・文明の発展を記述し、それらの現時点での到達点として、現代を論じている。
マインドリーディングマシンは、他者の行動を、背後に心の働きがあるとして理解することを可能にしてくれる。これは、社会的乳類としてのホモ・サピエンスの大規模な協同を促進してくれる。また、社会的契約・交換マシンは、原初的な物々交換から、大きな経済システムにおける貨幣の使用などを可能にしてくれ、現代の分業を促進してくれている。分業がすすむと、それぞれが自分の得意な分野に専心できるので専門化が可能になり、産業の発展、つまりは豊かさに結びつくのである。
この延長がグローバル化である。グローバル化は、分業・専門化の促進という点で、ストップすべきではない。しかし、本書の中で、このグローバル化の中に「生きにくさ」の本質があると私は主張している。つまり、分業化は伝統的な共同体を破壊し、私たちに、都市に代表される匿名的なコミュニティへの適応を求めてくる。つまり私たちの脳が進化したのは、コミュニケーションはお互いに知悉したもの同士という環境なので、この新しい現代の文化に適応するのは容易ではないだろう。この中に「生きにくさ」が潜んでいるわけである。決して精神が貧困になって「生きにくさ」が生まれたわけではない。
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