2019年4月27日土曜日

還暦を迎えてー悪性リンパ腫体験記

 この4月に還暦を迎えて晴れて60歳になった。振り返れば、42歳の時に大腿骨の骨頭部が原発という悪性リンパ腫に罹患し、幸いに再発はなく、生存目標を45歳、50歳と延長してきた。それだけに、60歳になることができたということには感慨深いものがある。ここへ来て定年後どうするかという問題が生じてきたが、この心配ができるということはなかなかの幸運なのかもしれない。

 あまり他の人には語ったことはないが、半年間の入院の後、人生観は大きく変化している。私自身、大学の教養課程時には、鈴木大拙など、けっこう仏教についての書籍を読んでいたので、自分が死ぬことを意識し始めたら、もっと宗教的な人間になるかと思っていたのだが、意外にも唯物論的になっていった。チャールズ・ダーウインやリチャード・ドーキンスやの影響も受けていたのだろうと思うが、かけがいのない私自身といえども、何代もコピーされ続けてきた遺伝子が作り上げたタンパク質の塊であり、その中の情報伝達機構から自分という概念が生まれているにすぎない。そう考えると、人生の意義とは何かとか、自分は何のために生まれてきたのだろうという問いかけは、ほとんど疑似問題になってしまった。

 入院期間中は、手術 (通常、悪性リンパ腫は、頸部や鼠径部のリンパ節が多いので手術は必要ないが、私の場合は骨が原発なので、手術が必要だった) の後や抗がん剤治療でグロッキー状態であるとき以外は、かなり時間があって暇である。おそらくこれだけテレビを見たのは人生においてあまりなかったのではないかと思う。そのときに印象に残り、かつ好きだったのがサンクロレラのコマーシャルである。悠久を感じさせる音楽を背景に、クロレラが何億年も前から生命をつないでいるというメッセージを聞くと、自分自身もこの連鎖の中のごく一部だという感覚になり、自分の生とか死がとてもちっぽけなことに思われたのである。

 入院していた2001年は、小泉旋風が吹き荒れていたころである。私は、自分の人生の中で政治家になりたいと思ったこともないし、政治家として活躍した人に対して羨ましさなどを感じたことは微塵もなかったのだが、不思議なことに、このときは政治家のエネルギーが羨ましかった。選挙で選ばれて喜びと抱負を語る当選者には、何かしら生きるエネルギーを感じていたのかもしれない。腫瘍が悪性であるという告知を受けた一週間ほど後の夕刻、病院の窓から外を眺めたとき、帰宅中と思われるたくさんの人々を見て、彼らが本当に羨ましかったのだが、彼らから感じたエネルギーを同じように当選の政治家からも感じ取っていたのだろう。

 なお、コマーシャルついでながら、そのころ著しく不快感を抱いたのは、2000年に結成された保守新党の宣伝コマーシャルである。そこころ党首であった扇千景が、「ホシュピタル」の医師に扮して、病んでいるという想定の国会議事堂に点滴をうつというものだった。抗がん剤治療中は、定期的に点滴で抗がん剤を注入するのだが (当時、患者間ではそれを「ヒモつき」と呼んでいたが)、何やら点滴患者がおちょくられたように感じられたのである。私は扇の政治家としての力量や功績はよくわからないが、この人には全く羨ましさは感じなかった。

2019年4月13日土曜日

『西洋の自死―移民・アイデンティティ・イスラム (The strange death of Europe: Immigration, identity, Islam)』―かなりショッキングな内容の著作である


 前回の記事で、ブルネイを取り上げた理由は、「文化相対主義」と「欧米の知識人に共有される罪悪感」が、実はヨーロッパにおいて大きな移民問題を引き起こしているということを雄弁に語ったダグラス・マレーによる問題の書『西洋の自死―移民・アイデンティティ・イスラム』にショックを受けたためである。

 ヨーロッパは、アジアやアフリカからさまざまな搾取を行い、非人道的な扱いをしたという罪悪感から、今まで多くの移民を受け入れてきた。そして移民への反対や差別的な対応は、ヨーロッパ人が価値があると考えてきた人権観やリベラリズムに反するものとして、忌避されてきたようだ。また、文化には優劣がないとする文化相対主義もそれを援護してきた。

 ところが、難民とはいえない不法移民が次々にやってきて、移民の数が度を超えてくると、ドイツをはじめとするヨーロッパの国々においてさまざまな問題を引き起こしているようだ。昨年の3月にフランスのツールに滞在したときも、街のいたるところに移民と思われる物乞いがいて、もうすでに知識人の間でも彼らにはかなりネガティヴであった。もう15年も前だが、2004年のヨーロッパでのある国際学会に参加したときも、参加者の中にトルコがEUに加盟したがっているということに不快感を示す人が多かったのに驚いた経験がある、「EUは異文化に寛容なのではないのか」と。彼らの反対の理由は、やはりトルコにおいてヨーロッパ人が想定している人権がほとんど守られていないということだった。

 イスラム教あるいはイスラムの人々が怖いというわけではないのだろうが、問題視されているのは、イスラムからの移民たちが、彼らの価値観をそのままヨーロッパに持ち込んでいるという点にあるようだ。残念ながら、ブルネイでの事例と同じように、女性やLGBTの人権を守ろうという意識は低いようだ。また、原理主義者による、ヨーロッパのイスラム教研究者への身の危険は絶えず起きているようである。

 マレーは罪悪感自体に対してはネガティヴなわけではない。しかし、これが、道徳的陶酔に陥ると、すでに大きな問題になっている文化摩擦等について目をつむることになり、不法移民を含む大量の移民に対してあくまで寛容さを保とうとする姿勢となって、リベラルを重んじる政治家が問題を先送りしている点を批判している。つまり、西洋のリベラルは、女性の権利やLGBTの権利を主張し続けながら、そのような権利を認めようとしない人々を何百万人も移入することに賛同し続けたというわけである。

2019年4月6日土曜日

ブルネイの新刑法―これは批判されるべき


 石油資源が豊富で一人当たりGDPがアジア有数のブルネイにおいて、不倫や同性間の性交渉に対しては石打ちによる死刑、レイプや強盗、預言者ムハンマドへの侮辱にも死刑という、シャリアに基づく新刑法が施行されたようだ。とくに、石打ち刑は、下半身を地面に埋め、死刑囚が死ぬまで周囲の民衆が石を投げつけるという、とてつもなく残虐なものである。さすがにフランスをはじめとする国々から批判の声が起こり始めている。

 従来、イスラム教のこのような刑罰について、眉をひそめることはあっても、欧米をはじめとする国々から大きく批判されることはなかった。それには二つの理由があり、第一は文化相対主義である。文化相対主義は、それぞれの文化に固有の価値があってそれにのっとった文化習慣が形成されており、どの文化が優れているのかという基準は存在しないとみなしている。この考え方は、西洋文化あるいは西洋人が優れているとする西洋至上主義に異議を唱えるとものとしてリベラルと考えられている。したがって、イスラム教徒の文化習慣を批判すると、リベラルとは真逆のレイシストと見なされる危惧があるわけである。第二は、欧米の知識人に共有される罪悪感である。欧州列強による植民地化、アメリカやオーストラリアにおける先住民への暗黒の歴史、アメリカにおける黒人奴隷など、反省すべき材料は多い。この道徳的罪悪感から、イスラム教徒などに対する批判がなされにくいのである。これは日本にも同じことがいえ、とくにブルネイは第二次世界大戦において占拠しているので、批判しにくいだろう。

 しかし、このブルネイのシャリアに基づく新刑法は、やはり批判されるべきだ。宗教には排他的な側面があり、たとえばキリスト教も異端拷問や魔女狩りなど、暗黒の歴史をもっている。しかし、キリスト教側は、18世紀ころから、魔女狩りを終焉させ、異教徒への弾圧を減少させ、罪人あるいは被疑者に対する厳罰のを減させ、またそれに伴う拷問も用いられないようになってきた。この背景には、小説の普及や啓蒙主義・人道主義の普及があると推定されるが、これらはヨーロッパ人の自助努力によるものである。

 このようなことがなぜブルネイで生じていないのだろうか。豊かになると民主的かつ人道的になるというのは、普遍的な傾向だと思われるが、この法則がブルネイではなぜ成り立っていないのだろうか。私は、ブルネイは行ったことがなく、人々の暮らしを肌で感ずることがないので、理由はわからない。しかし、石打ちなどの残虐な刑罰に対して、人々が嫌悪を感ずるような文化は育たなかったのだろうか。豊かになって西洋的な価値観も流入していれば育ってくるとは思うのだが、ひょっとしたらその変化が急速すぎて、変化に対する危機感から反作用的にシャリアを守っていこうという潮流が生まれたのかもしれない。しかし、日本も、第二次世界大戦での迷惑は別のこととして、ブルネイの人々のためにも国際的な批判の輪に加わるべきだろう。