2018年11月24日土曜日

チャウシェスク最後の演説―共同幻想あるいは多元的無知が打ち破られる瞬間

 このブログで、国の豊かさや経済発展などに影響を与えているものとして「制度」が重要であるといくつかの記事で書いてきた。制度は、法制化されているにしろ、社会習慣にしろ、人々の共有幻想によって成り立っているといえる。たとえば、「お金に価値がある」と人々が信じているのが代表的な共同幻想だが、お金に対する人々の信頼は現実に私たちの生活を円滑にしてくれているので、これは共同幻想といえども持続可能で、豊かさや経済の発展に寄与している。この共同幻想は、政府やナショナルバンクがめちゃくちゃな政策をとらない限り、持続していくだろう。

 ネガティヴな例として、独裁者の裸の王様状態がある。人々に憎悪されているにもかかわらず、その権力維持を可能にするのも共同幻想である。心理学では,多元的無知とも呼ばれるが、これは、集団の多くの成員が,自らは制度に疑問を持っているにもかかわらず、自分以外の他の成員のほとんどがその制度を肯定的に評価していると信じている状態を意味している。つまり、個々の人々は独裁者を憎悪しているのだが、自分以外の人々が独裁者を尊敬していると信じてしまうと、独裁者打倒に踏み切ることができないわけである。

 しかし、歴史の中で、この共同幻想が崩壊したり、あるいは人々が多元的無知から解放されたりしたときに、革命が起きる。その代表的な例が、ルーマニアの独裁者であったニコラエ・チャウシェスクが処刑されたルーマニア革命だろう。この共同幻想崩壊の瞬間を、ユーチューブで見ることができる。この「Nicolae Ceausescu LAST SPEECH」は、19891221日のブカレストにおけるチャウシェスクの演説である。チャウシェスクが広場を埋め尽くした聴衆に向かって演説をするが、当初は彼を賛美する声だったのが、途中、240秒あたりから野次・非難の声が起き始めて、その後、右往左往する姿が映し出されている。聴衆の「ティミショアラ!」という叫びも聞こえてくる。この直前の1216日にティミショアラ蜂起があったのだが、チャウシェスクは、国民を落ち着かせることを目的として、彼を賛美している人たちがたくさんいるということを示すために、この演説を国営放送で放映したのである。それで幸いに記録が残っているのだが、この演説に対する人々の反応がルーマニアの全国民に知れ渡ってしまって、チャウシェスクが尊敬されているとする共同幻想が崩れたのである。つまり、彼の戦略は、完全に裏目になったわけだ。そのわずか4日後の1225日、彼は妻のエレナとともに銃殺刑に処せられている。

2018年11月18日日曜日

自然実験としての歴史―アフリカの奴隷貿易の影響


 久しぶりにジャレド・ダイアモンドの日本語訳が出版されたと思って読んでみたら、『歴史は実験できるのか―自然実験が解き明かす人類史』は彼らの編著で、かなり専門的な内容だった。しかし、幸い、歴史や計量経済をあまり知らなくてもなんとか読める範囲に収まっていた。この「自然実験」という用語は、心理学においては、たとえば事故や脳梗塞などで脳に損傷が起きた患者において、どのような機能障害が生ずるのかなどの文脈で用いられる。実験室の統制実験のように、脳のある部位に損傷を起こさせた群と健常群を比較するというような研究は、倫理的に実施してはいけないので、脳についてのかなりの知見は、このような「自然な」脳損傷によって」得られている。

 歴史もこのような統制実験ができない領域である。しかし、歴史的にどのような制度が用いられたのか、どのような侵略があったのか、どのような生態学的な条件だったのかということから、その後の発展や変化にどのような影響を及ぼしたのかというアプローチは、たしかに自然実験といえるだろう。極端にいえば、科学として歴史を捉えようとすれば、自然実験以外にアプローチはないようにも思える。

 この本は、いくつかの論文から編纂されたものだが、問題意識は、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』が書かれたときと同じ「現代世界における不均衡がなぜ生じたのか」で、ブレがない。パプアニューギニアのある政治家の「なぜアメリカは豊かでモノがあるのに、パプアニューギニアはそうではないのか」に尽きるだろう。『銃・病原菌・鉄』では、主としてユーラシア大陸とアメリカ大陸やアフリカ大陸が比較されていて、地勢的・生態学的な説明が用いられていたが、『歴史は実験できるのか』では、偶発的に起きてしまったことや、制度的な要因が、その後の歴史的変容の説明として用いられている。たしかに、地勢的・生態学的な説明では、なんとか15世紀の大航海時代くらいまでならある程度説得力をもっているかもしれないが、15世紀以降の急激な地域間格差の説明には無理がある。

 その中で、目を引いたのは、アフリカにおける奴隷貿易の影響である。奴隷が多く輸出された国・地域は、明確に現在に至る発展に遅れが見られるという結果なのだが、元々発展していなかったから奴隷を輸出しやすかったのではないかとも思われた。しかし実は、その逆のようだった。当時は、コンゴ王国のように、人口が稠密で国として発展していたようなところからより多くの奴隷が輸出されたようだった。人口が稠密ならば、反乱や内戦が多く、その結果として奴隷を確保しやすかったからである。しかし奴隷貿易の結果、共同体内での対立が激化した。知人や親族等によって拉致されて奴隷として売られるようなことも起きたからである。また対立の激化があれば、武器を買うために奴隷を売り、その武器によってますます争いが増えて奴隷を得やすくなるという悪循環が繰り返されたようだ。これは、とりもなおさず政治の不安定化を招き、現代の貧困に結びついているわけである。研究として、奴隷売買をする群としない群にわけて50年ほど実験をしてみるというようなことはとてもできない。奴隷貿易は、アフリカの人々には悲劇的なことであっただろうし、人類としての罪だったと思うが、冷徹に眺めれば、自然実験の貴重なデータを提供してくれている。

2018年11月4日日曜日

めざせJ1昇格―京都サンガの低迷


 J1J2を往復し、エレベータークラブと呼ばれていた京都サンガが2011年以降ずっとJ2に定着している。今年はJ1への昇格どころか、J2の最下位の時期もあり、J3降格がかなり危ぶまれた状態が続いた。本日、なんとかJ2に残留することが決定した。この2年間の低迷の最も大きな原因は、無能としか言いようがない布部陽功監督のチーム作りと采配であろう。2017年シーズンからの采配だったが、チームが組織的に機能せず、攻撃はチグハグで守備が崩壊してしまった。2018年シーズン途中に、やっと布部からボスコ・ジュロヴスキーに交代し、一時は最下位でJ3への降格も覚悟したが、かろうじて残留を決めた。

 現在の状態から来々シーズンの昇格に向けて、京都のフロントは青写真ができているのだろうか。これまでの京都は、三浦知良、ラモス、柳沢敦、そして田中闘莉王など、どうみても見通しがないままに客寄せパンダ的な選手を連れてきては失敗ということが続いている。来シーズンは、やはり現有戦力を最も活用できるピースの補強と、そのチームを機能させることができる監督を招聘すべきだろう。その視点で見れば、京都には、岩崎悠人、仙頭啓矢、小屋松知哉、庄司悦大、カイオなど、偽9番としての人材は豊富である。彼らを偽9番あるいはシャドーとして活用するためには、CFには運動量が豊富でポストプレーが巧みな選手が欲しい。今年は、ロペスや闘莉王がFWとしてプレーしたが、ロペスはポストプレーヤーとしてボールを収めてくれるわけではないし、闘莉王ではあまりにも運動量不足である。

 それでは現メンバーが抜けないと仮定すれば、CFには誰が適任だろうか。もちろん最盛期のインザーギのようなCFがいれば最高だが、私が欲しいなと思っている現実味があるプレーヤーは鳥栖の金崎夢生である。彼をワントップに置き、岩崎や小屋松のスピードを活かしたショートカウンターを中心にした縦に速い攻撃を見てみたい。金崎には失礼かもしれないが、ちょうどワールドカップで優勝したフランスのジルーのように、点を取らなくてよいので偽9番のために献身的なプレーをしてくれるCFとして京都で活躍して欲しい。しかし、鳥栖は今日の試合で降格圏から脱した。また降格したとしても、金崎はJ1のチームに行きたいだろうなと思うので、実現は難しそうである。

 一番の問題は監督である。ジュロヴスキーは布部と比べてはるかにましである。しかし、運動量の少ない闘莉王頼みの攻撃では、J3への降格はないかもしれないが、J1に昇格するには物足りない。布部が崩壊させた守備は立て直してくれたので、この守備を受け継ぎ、運動量がある偽9番やシャドーが躍動するサッカーを実現させてくれる監督に来て欲しいものである。

2018年11月1日木曜日

心理学からなぜ政治や戦争の話題へ? ―適応論とビッグ・ヒストリー

 ブログを始めて1年になる。当初はそういうつもりはなかったが、振り返ると、政治や戦争関係の記事が予想外に多かったように思う。私の昔の推論研究をご存知ならば、あのYamaがなぜこんな領域の記事を書くのかと驚いておられる方々も多いかもしれない。

 推論研究は、1980年代の「人間はなぜ誤るのか」という視点から、1990年代には「人間の誤りはどういう意味で適応的なのか」という問いかけに変化した。野生環境で進化した脳にとって人工的に作られたルールや論理学は苦手だが、現代人の誤りも、野生環境では適応的だったのではないかというわけである。今世紀に入ると、文化的な視点も取り入れられ、人間は文化的環境に適応できているのかどうかという議論にも発展している。文化というと、芸術などを連想させるかもしれないが、このブログでは、それだけではなく、人間の習慣や社会のシステムなど、社会性哺乳類としての人間が集団を作っていくうえでの何らかの仕組を表す用語として使用している。適応的視点からは、文化とは、人間が集団で生活する上での何らかの適応課題(それを解決すると、生存や繁殖に有利になるような課題)を解決するために作られたものである。歴史上、民主的に創られる場合もあれば、権力者が自分に都合がよいように作る場合もあっただろう。また、ちょっとした人々の習慣が伝播していく場合もある。そして、いったん文化が作られると、目標である適応課題の解決はもたらしてくれるかもしれないが、もう一方でその新しい文化への適応が求められるようになる。人々に効率的に共有すべき知識が伝えられるようにということで「学校」という文化が創られたが、今度はその「学校」という文化に適応を求められるようなものである(この不適応は、教育心理学の大きなテーマの一つである)

 現在、世界にはさまざまな文化が人々によって共有されている。それによって、残念ながら、豊かな国もあれば貧しい国もある。産業が発展している国もあれば途上の国もある。政治的に独裁の国もあれば民主的な国もある。平和な国もあれば内戦やテロが終息しない国もある。これらのアンバランスな発展あるいは多様性は、どのようにして起きたのであろうか。この問題に、現時点で最も適切な解答を与えてくれるのは、いわゆるビッグ・ヒストリーだろう。残念ながら、日本人による著作はあまりないが、ジャレド・ダイアモンドが『銃・病原菌・鉄』を著して以来、次々に名著が出版されている。最近では、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』がインパクトを与えている。さらに、スティーヴン・ピンカーの『暴力の人類史』は、人類がどのようにして殺人・暴力や戦争・ジェノサイドを減少させてきたのかを議論している。

 このブログの政治や戦争についての記事の多くはこれらの書籍から影響を受けたものである。最近のビッグ・ヒストリーは、過去を振り返るだけではなく、未来をどのように生きていくのかということも真剣に議論し始めている。しかし、日本の政治家やそれに類する人々による国家あるいは人類の将来についての議論はとてもこの水準に達していない。素人ながら、残念に思う。