2018年11月18日日曜日

自然実験としての歴史―アフリカの奴隷貿易の影響


 久しぶりにジャレド・ダイアモンドの日本語訳が出版されたと思って読んでみたら、『歴史は実験できるのか―自然実験が解き明かす人類史』は彼らの編著で、かなり専門的な内容だった。しかし、幸い、歴史や計量経済をあまり知らなくてもなんとか読める範囲に収まっていた。この「自然実験」という用語は、心理学においては、たとえば事故や脳梗塞などで脳に損傷が起きた患者において、どのような機能障害が生ずるのかなどの文脈で用いられる。実験室の統制実験のように、脳のある部位に損傷を起こさせた群と健常群を比較するというような研究は、倫理的に実施してはいけないので、脳についてのかなりの知見は、このような「自然な」脳損傷によって」得られている。

 歴史もこのような統制実験ができない領域である。しかし、歴史的にどのような制度が用いられたのか、どのような侵略があったのか、どのような生態学的な条件だったのかということから、その後の発展や変化にどのような影響を及ぼしたのかというアプローチは、たしかに自然実験といえるだろう。極端にいえば、科学として歴史を捉えようとすれば、自然実験以外にアプローチはないようにも思える。

 この本は、いくつかの論文から編纂されたものだが、問題意識は、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』が書かれたときと同じ「現代世界における不均衡がなぜ生じたのか」で、ブレがない。パプアニューギニアのある政治家の「なぜアメリカは豊かでモノがあるのに、パプアニューギニアはそうではないのか」に尽きるだろう。『銃・病原菌・鉄』では、主としてユーラシア大陸とアメリカ大陸やアフリカ大陸が比較されていて、地勢的・生態学的な説明が用いられていたが、『歴史は実験できるのか』では、偶発的に起きてしまったことや、制度的な要因が、その後の歴史的変容の説明として用いられている。たしかに、地勢的・生態学的な説明では、なんとか15世紀の大航海時代くらいまでならある程度説得力をもっているかもしれないが、15世紀以降の急激な地域間格差の説明には無理がある。

 その中で、目を引いたのは、アフリカにおける奴隷貿易の影響である。奴隷が多く輸出された国・地域は、明確に現在に至る発展に遅れが見られるという結果なのだが、元々発展していなかったから奴隷を輸出しやすかったのではないかとも思われた。しかし実は、その逆のようだった。当時は、コンゴ王国のように、人口が稠密で国として発展していたようなところからより多くの奴隷が輸出されたようだった。人口が稠密ならば、反乱や内戦が多く、その結果として奴隷を確保しやすかったからである。しかし奴隷貿易の結果、共同体内での対立が激化した。知人や親族等によって拉致されて奴隷として売られるようなことも起きたからである。また対立の激化があれば、武器を買うために奴隷を売り、その武器によってますます争いが増えて奴隷を得やすくなるという悪循環が繰り返されたようだ。これは、とりもなおさず政治の不安定化を招き、現代の貧困に結びついているわけである。研究として、奴隷売買をする群としない群にわけて50年ほど実験をしてみるというようなことはとてもできない。奴隷貿易は、アフリカの人々には悲劇的なことであっただろうし、人類としての罪だったと思うが、冷徹に眺めれば、自然実験の貴重なデータを提供してくれている。

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