2018年6月7日木曜日

霊長類とヒトの順位制についての忘備録


 残念ながら霊長類や人類学的な研究にこれまでかかわることはなかったが(今からでも遅くないかもしれない!)、ここ20年足らずの間、私はヒトの推論能力は社会的哺乳類として進化してきたという立場をとっている。そして、近年、モラルにも研究領域を広げようかなと考えており、とくに、進化的に古い直観的なモラル判断と、進化的に新しい熟慮的なモラル判断、さらにはそれらへの文化的影響と、野望や妄想だけは広がるのだが、なかなか実行力が伴っていない。

 社会的哺乳類の視点の中で注目していたのは順位制である。サルやチンパンジーが順位制をもっていることは知られており、かつては群れのトップはボスザルと呼ばれていたが、現代では、アルファという呼び方がなされている。この順位制は、採餌や交尾の優先権を決めておくというもので、争いを避ける点で非常に適応的である。推論能力は、この順位制のルールを学んだり、順位制をごまかしたり、そのごまかしを見抜いたりしあう中で進化したといえるわけである。

 「太古、人々は無垢な心で平和に暮らしていた。争うようになったのは、人々が武器や私有財産を持つようになってから」とする高貴な野蛮人説は、現代ではほぼ否定されている。私は、それと同じように、「太古、人々は身分の区別・差別なく仲良く暮らしていた。身分制は、人々が国家や文明をつくりあげてから」という見方にも、かなり疑義をもっていた。霊長類の順位制から現代文明で生きるヒトに至るまで、身分制は徐々に弱くなっていったという印象があったからである。

 しかしそれは完全に私の勉強不足であり、現在では、更新世(最終氷河期から氷河期末期まで)における狩猟採集民はかなり平等な社会だったのではないかと推定されている。人類学的調査から、彼らとほぼ同じ生活形態ではないかと推定される非農耕の狩猟採集民では、たとえ優秀なハンターであっても、平等な肉の分配という規範が行き渡っている。独り占めは許されず、それに対する道徳的非難は非常に大きい。そのような平等に至る進化の要因と考えられるのが「心の理論」である。つまり、心の理論によって、順位制における下位者の連帯が可能になり、上位者の横暴を許さないという社会システムができあがってきたわけである。これは、ボノボの社会においても見られる現象のようである。

 しかし、せっかくの順位制の崩壊も、古代国家の登場によって一気に後退してしまった。ヒトは、集団をどのように維持するかという問題を常に抱えながら進化したが、順位制を弱めた「心の理論」もその問題解決の一つである。一方、宗教や交換・贈答も集団の維持に役立ったが、それらは順位制をむしろ強化してしまった。およそ1万年前の農業革命で、交換の規模は大きくなり、豊かさをもたらして分業を加速させた。しかし、それによる職業の分化や私有財産の多寡が貧富の差を大きくし、豊かな人は益々豊かになっていった。同時に、さまざまな職種の中で神官が大きな力を持つに至った。これが古代国家の元になっている。狩猟の技術の差異くらいなら、強いリーダーを抑え込むような連帯が可能かもしれない。しかし、私有財産で差がついてしまうと、リーダーの権力は、連帯などで簡単に抑制できなくなってしまう。

 現代は貧富の差がまだまだ小さくないとはいえ、順位制を弱めて、かなり民主主義的な世の中になった。その時代・文化において、上位者に権力をふるうことができる道具があれば順位制は強化され、下位者に連帯のよき方法があれば弱体化されるものなのかもしれない。ということは、後戻りをさせないためには、連帯のよき方法を守り、権力をふるうことができる道具は可能な限り権力者に渡さないということが常に必要とされているのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿