数年前のSTAP細胞研究における一連の不正、博士論文における剽窃など、まさに研究不正のデパートというべき小保方晴子氏だが、その後、『あの日』や『小保方晴子日記』といった手記を出版し、何とグラビアにまで登場という理解できないことが起きている。
バカバカしくて、2冊の本は読んでみたわけではないが、どうやらそれらの中で、不正の反省がなされているわけではなく、バッシング中の被害感情だけが述べられているらしい。それでもって今回のグラビア登場というわけで、改めて、本人に対してだけではなくメディアの商業的な姿勢に呆れてしまった。いまだに小保方シンパがいるのにも驚きで、研究不正がいかに悪いかということが世間で認識されていないということを改めて思い知らされる。某政治家の言い方を真似れば、「研究不正罪はない」なのかもしれないが、セクハラと同じように、犯罪でなければよいというものではない。研究不正の被害の大きさは、すでに1月27日の「iPS細胞の研究不正について―尾木直樹氏の発言への違和感」で書いているが、目に見えにくいかもしれないが、混乱と損害は著しい。
インターネット上では「メンタル強い」とか「恥知らず」という表現が飛び交っているが、私は、小保方氏には「恥」よりも「罪」がわかっていないモンスターという印象をもっている。ルース・ベネディクトは『菊と刀』において、日本人は、「罪の文化」というよりは「恥の文化」であると主張している。私は、この主張に必ずしも賛成はできないが、小保方氏をみていると、「罪の文化」がおそろしく欠如した環境で育ったのではないかとしか思えない。「恥」は、他者からの非難への防御として進化したという点で、小保方氏にはバッシングの恐怖はあったようなので、そこで恥のようなものは感じたかもしれない。しかし、「恥」は、あくまで対人的なものなので、ちょっと周囲から同情が示されると消え去りやすい。一方、「罪悪感」のほうは、いくら周囲が慰めてもなかなか癒されるものではない。小保方氏の場合は、まさに前者のパターンで、「恥」はさっと消えてしまい、被害感情だけが残っているように思われる。「罪」は、その「恥」を内面化させないといけないのだが、どうやらその作業は小保方氏の心の中で行われることがなかったのだろう。
小保方氏をみていると、自己顕示欲求が強く、辞書に罪悪感という項目が記載されていない人物像が描ける。で、ここまで考えて、ハタと思った。そうそう、某国の首相の奥さんと似てないか? 自分がしたことの重大性が理解できておらず、罪悪感は皆無、そしてバッシングされた被害感情だけが強く、自己顕示欲求が強くて出たがり。まさに同じだ。さらに両者に共通するのは、大学院教育を受けていて、それで自分が全く成長しなかったにもかかわらず、偉くなったと思い込んでいることかもしれない。某国首相夫人は、「大学院で教育を受けて自信がついた」とのたまわっておられるが、自信よりも見識を身に着けてほしかったと思う。また、小保方氏には、科学的研究を遂行する上での真実への怖れと謙虚さを学んでほしかったと思う次第である。ここ何年間かの間で大学院の重点化が進み、学ぶ人が増えたのは喜ばしいが、モンスターを野に放つのだけは勘弁して欲しい。
付記
小保方氏と某国首相夫人の類似は、精神科医の片田珠美氏がすでに指摘されていました。ネットで検索してわかりました。二人とも「罪悪感をどこかに置き忘れた」というのは、たしかに片田氏のおっしゃる通りです。
付記
小保方氏と某国首相夫人の類似は、精神科医の片田珠美氏がすでに指摘されていました。ネットで検索してわかりました。二人とも「罪悪感をどこかに置き忘れた」というのは、たしかに片田氏のおっしゃる通りです。
① こんにちは。いつも興味深く拝見しております。5月3日付「西郷どん・・・」にコメントをさせていただいた者ですが、御丁寧な回答を頂きまして、有り難う御座いました。
返信削除私は、『自分が数千年後の未来に居て、そこで、VRゲーム(バーチャル・リアリティー・ゲーム)を行って、ゲーム「第7次太陽系次元の地球」に意識が全部入り込んだ場合を想定しました。
すると、自分の肉体とゲーム機が存在する「数千年後の未来」が本当の自分の世界なのか、それとも、ゲームに入り込んだ自分の意識が存在する「第7次太陽系次元の地球」が本当の自分の世界なのか』、と考えていたら訳が分からなくなったので、コメント欄でお尋ねした次第です。
② ところで、終末予言の「その時」に、ご興味をお持ちでしょうか。
「神示」では『辛酉はよき日、よき年ぞ』(下つ巻・第30帖)とあり、次の辛酉は2041年になります。そして次に、『四ツン這ひになりて着る物もなく、獣となりて、這ひ廻る人と、空飛ぶやうな人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ』(富士の巻・第19帖)とあります。
上記の2点につきまして、「ヒトラーの予言」にも近接する年代や類似する事象の表現があるようですし、「シリウスファイルのオコットのメッセージ」でも近接する年代や類似の表現が認められるようです。
(この2例はネットで閲覧できますが、著作権が一々面倒ですし、ウィルス感染問題もありますので、リンクは割愛させていただきます)。
ここで、神示・ヒトラー・オコットの予言の「その時」の年代は、2041年の数年前から2041年までということになり、20年くらい先の話ですが、随分と気の長い話となります。
ただし、『天の異変 気付けと申してあろが』(夜明けの巻・第3帖)と有りますように、前兆現象としての天変地異は益々激化して来るように感じられます。
また、オコットのメッセージの類推解釈から、マヤの2012年の後から「変換の仕組み」が始まっており、中程からは「転換の仕組み」が始まるものと想像しますから、のんびりと20年先を待つわけでも無さそうに思われます。
★ どう思われますか。