2018年4月9日月曜日

大学文科系学部の価値―異文化共生


 3月の末にフランスから帰国したが、いまだに時差ぼけが治まっておらず、午後から夕方くらいに強烈な眠気に襲われることがまだある。しかし新学期は始まっており、なんとか新年度に適応しなければならない。

 ここ10年くらい、日本の大学、とくに国公立大学において、人文科学や社会科学、いわゆる文科系学部が何の役に立つのかという議論が行われるようになった。そして日本では、文理融合的学部への編成が奨励されている。この文科系不要論はフランスの大学人にも脅威なようで、各大学においていろいろと議論がされているようだった。芸術等に価値をおくフランスではそういうことはないと思っていたので、かなり意外だった。

 実は、3月に訪問したトゥール大学とわが大阪市立大学大学院文学研究科は、教育研究協定を結ぶのだが (3月の私の渡仏の目的の一つである)、トゥール大学側は、私が考えていた以上に協定後の交流に積極的であった。その大きな理由の一つが、異文化理解が研究としても教育としても奨励されていることである。さらに、トゥール大学として、この異文化理解を文科系学部の価値の一つとして推し進めようとしているようだった。

 確かに異文化理解は、フランスの緊急のニーズの一つである。アルジェリアやチュニジア、マリ、コートジボワールなどの旧アフリカ植民地諸国からの人々、中東の人々、難民などを受け入れ、どのようにして文化摩擦を緩和して異文化共生を達成できるのかという問題が大きくのしかかっているのだ。これを一歩誤ると、移民排斥が起きたり、極右が台頭したり、あるいは旧植民地諸国との関係が悪化したりしてしまう。こういう状況で、それぞれの文化における価値とは何なのか、またその価値を土台としてどのようなモラルや習慣が形成されるのかという問いかけができるのは、やはり文科系学部だというわけである。

 日本における異文化理解問題にはフランスほど切羽詰まったものはないかもしれないが、重要であるにもかかわらずマイノリティの問題として軽視されているようにも思える。以前にこのブログで、文科系、さらにいえば私が所属している文学部の価値として、市民リテラシーとしての卒業論文の意義を主張した。しかしそれ以上に、この現代のさまざまな変動の中で、人間の価値とは何か、あるいは人間の幸福とは何かといった問題に真剣に問いかけができるのはやはり文学部ではないだろうか。もちろん文学部以外の学部で、そういうことが考えられていないというわけではないが、さまざまなアプローチを統合して、学際的に人間とは何かという問題を考えられるという強みが文学部にはあると思う。そして、そのような土台が、日本における異文化共生の問題への扉になるのではないだろうかと期待できるのである。

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