2018年4月1日日曜日

フランスで知られた日本人作家と日本で知られていないフランスのマンガ

 フランスから日本へは、329日に帰着した。共同研究先のトゥール大学においても私の研究の発表時間をいただいたが、パリのInstitut Catholique de Paris30分で発表したものを、1時間半ほどに引き延ばして発表した。その中で、川端康成の『雪国』の、主語がない文として翻訳者を悩ませた悪名高き一節である、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」についてちょっと触れた。ところが、川端康成はほとんどフランスで知られていないようであった。では、日本人作家で誰を知っているかというと、真っ先に名前が浮かぶのが三島由紀夫であり、意外な(といえば失礼かもしれないが)名前だったのが安倍公房である。

 安倍公房は、アベといったときに安倍首相より先に連想されるようで、その中で『砂の女』がよく知られているようである。この小説は、勅使河原監督によって映画化されて、映画と翻訳の両方でフランス人に知られているようだった。『砂の女』は、海辺の砂丘にやって来た男が、女が一人住む砂穴の家に閉じ込められ、様々な手段で脱出を試みたが、最後には砂の生活に順応し、脱出の機会が訪れても逃げなくなったという人間の心理描写が特徴である。この状況設定と、人間が不条理「と思われるもの」を受け入れる展開は、カミュやサルトルで記述される実存を思い起こさせるようだ。レゾンデートルは、フランス人の精神の中で大きな位置を占めているということを再確認させてくれる。

 一方、フランス人にとって日本はマンガ大国という印象があるようで、葛飾北斎も知られているし、宮崎駿の作品が好きなフランス人も多い。それで、フランス発のマンガで子どもたちにも非常に人気がある『アステリクス』は、マンガ大国の日本なら当然知られていると思っていたようだった。しかし私は知らなかったし、調べてみると『アステリクスの冒険』として1974年に日本でも出版されているようだが、やはり日本人にはほとんど知られていないと思う。絵を貼ろうかと思ったが、著作権の問題がありそうなので、どんなキャラクターかがわかる下記のサイトを張り付けた。


この小さなほうが、アステリクスで、大きなほうが相棒のオベリクスである。アステリクスは身体は小さいが賢く機敏で、オベリクスは心根が優しい怪力の持ち主である。舞台は、古代ローマ時代のガリアで、今のブルターニュあたりのケルトの村である。彼らの共通の敵は、ジュリアス・シーザーで、マンガの中にも嫌な男として登場している。そして、彼らは、協力し合ってローマ兵から村を守るというストーリーになっている。フランスやドイツ、スペインで人気があるが、シーザーが敵役のためにイタリアでは人気がないらしい。

 シーザーと戦ったケルトの英雄であるウェルキンゲトリクスがこのマンガのモデルらしい。しかし、私の中のウェルキンゲトリクスのイメージは、佐藤賢一による『カエサル(シーザー)を撃て』からのコピーなので、かなり食い違う。『カエサルを撃て』で描かれたウェルキンゲトリクスは、天才的(ここはアステリスクと同じなのかもしれない)な戦略家と、どうしようもない下品な女好きというその両方を備えている。まあ、当時野蛮とされたガリアの英雄ならこんなものなのかもしれない。


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