2018年2月18日日曜日

銀と銅―銀はくやしい、そして銅はほっとする


 日本がサッカーのワールドカップに出場するようになってから、私の中でオリンピックの地位が相対的に低下し、さらには全体的に盛り上がりに欠けるという印象だったピョンチャンオリンピックであったが、羽生結弦の金の連覇は大きなニュースになった。しかし、今回のオリンピックの中で、私が興味を抱いたのは、二人のメダリストの発言である。一つは、今回銀メダルを取った渡部暁斗の「2という順位は見飽きた」という発言、もう一つは、清水宏保の「銀メダルは悔しいんですよ。金メダルはうれしい、銀はくやしい、そして銅はほっとする」というコメントである。

 銀メダルは銅メダルよりも客観的には良い成績のはずだが、実は満足度は銅メダルよりも低いという傾向は、ヴィクトリア・メドヴェックたちの研究ですでに知られている。彼女らの研究は、1992年のバルセロナオリンピック等での銀メダリストと銅メダリストの感情反応の分析に基づくものだが、銅メダリストのほうが銀メダリストよりは幸福そうに見えるという結果を報告している。

 この一見逆説的な現象を説明するのに、彼女たちは、反実的思考の上方性・下方性という概念を導入している。この場合の反実仮想思考は、銀や銅、各々のメダルではなかったかもしれない可能性の推論だが、銀メダリストは金という上方的な仮想を、銅メダリストはメダルを取れなかったという下方的な仮想をするわけである。そして、前者は、金メダルの可能性と比較して「もうちょっとだった」と悔しくなり、後者はメダルを取れなかった可能性と比較して「もう少しでメダルを取れなくなるところだった」とほっとするという説明がなされている。

 清水のコメントはこの逆説の説明と一致していて、みごとだなと思うと同時に、メドヴェックの研究は改めて評価できるものだなという感想をもった。ただ、彼女たちの研究は、メダル獲得直後の感情反応データに基づくものである。時間が経過すると、やはり銅よりは銀が嬉しくなってくる可能性が高い。また、オリンピックは4年に1回で、多くの選手にとってチャンスはせいぜい1回か2回である。これが、もっとチャンスが多ければ、やはり3位よりは準優勝のほうが嬉しいはずである。この逆説は、オリンピック直後という特殊な状況での現象なのかもしれない。



Medvec, V. H., Madey, S. F., & Gilovich, T. (1995). When less is more: Counterfactual thinking and satisfaction among Olympic medalists. Journal of Personality and Social Psychology, 69, 603-610.

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