2018年2月13日火曜日

スマホ中毒とチンパンジーのグルーミング


 スマートフォンを肌身離さずにもち、常にチェックしていじっていないと落ち着かない人が増えているようだ。世にいうスマホ中毒である。幸い、私の周囲には、会話中に常にいじっているというような人はいないが、通勤での駅での乗り換え時の歩きスマホにはかなり迷惑を被っている。あれほど、歩きスマホは危険であるという啓発があるにもかかわらず、混雑した駅で何度もぶつかりそうになる。

 私はスマートフォンを持っていないので実感はないのだが、常にチェックの最大の理由は、ライン等のSNSだそうである。返信が遅いと人間関係に支障をきたすのだろうか。これを聞いて連想するのは、チンパンジーのグルーミング(毛づくろい)である。彼らは一日のかなり多くの時間を互いのグルーミングに費やしているが、これはお互いの関係を強くするというメリットがある。関係が強くなれば、その集団が生き残るのに有利であり、かつ、その個人が集団の中で地位が高くなるという有利さがあるのだ。

 本ブログの「ダンバー数を超えて」の記事ですでに紹介したロビン・ダンバーによれば、このグルーミングが言語の起源の一つである。しかし、やたら時間コストを要するグルーミングよりも、ヒトは、コミュニケーションツールとして言語を選択したわけである。言語ならば、多人数相手に同時にメッセージを送ることもできるし、相手を信頼していることや愛していることを効率的に説明できるからである。言語が主要コミュニケーションツールである現代のホモ・サピエンスでは、グルーミングはおそらくセクハラになってしまうだろう。

 スマートフォンなどで可能になったSNSは、さらにその言語を超えて効率的な人間関係の構築を可能にしてくれるはずである。人間関係の構築に時間を取られなければ、その分、知識を広めたり、何かを学んだりすることに時間を割くことができるようになるはずなのだが、授業中や会話中にスマートフォンをチェックしなければいけないとなると、本末転倒以外何物でもない。ヒトとチンパンジーの共通祖先に先祖返りしたようなものである。

 さらに、このスマートフォンチェックが快適なものなら良いのだが、常にやってないと不安であったり、切迫感に追われていたりということになると、先祖返りどころか、先祖よりも不幸になっているかもしれない。なぜならば、チンパンジーは互いに毛づくろいをしながら、かなり幸福感を抱いているようだからである。残念ながら私は経験がないのだが、親密になったチンパンジーに毛づくろいをしてもらうと、とても気持ちの良いものらしい。

 コミュニケーション手段を進化させ、また、コミュニケーションのためのさまざまな道具が作られてきたが、結局は、チンパンジーと進化的分岐をした600万年前と同じ状態なのではないだろうか。せっかく効率的な言語やSNSを発展させたにもかかわらず、600万年前のまま不幸だけが蓄積されたということになると、精神構造が変化しないままに高価なオモチャが与えられただけという気がする。

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