2017年12月31日日曜日

日本は災害が多かったので相互扶助的になった? ―12月11日市大公開講座の宿題


 1211日に、一連の大阪市立大学公開講座の一つとして「日本人は非論理的?―心理学の比較文化研究から見えてくること」というタイトルでお話をさせていただいた。受講された方々の熱心な態度には、こちらが圧倒されてしまい、また、質疑応答において投げかけられた鋭い質問にはタジタジの連続であった。それらの質問の一つに、「日本人は、理想的な被災者と言われるが、昔から地震などの災害が多かったので、協力的・相互扶助的、あるいは集団主義的になったのではないか」というものがあった。私は、確かに日本は地震国だがそれ以外の災害が特に多かったわけではないと答えたが、不十分だったので、ここで再度考えてみたい。

 端的にいえることは、地震国であるのは間違いないが、全体的に、人口が激減するような災害は、むしろ少ないということである。このことは、マクファーレンの『イギリスと日本―マルサスの罠から近代への跳躍』の中に詳しく記されている。この書籍は、「なぜ産業革命が英国で起きたのか」と「なぜアジアの片隅の日本が開国して短期間に産業国家になったのか」という疑問に答えるために書かれたものである。彼が注目している点は、両国において17世紀頃から出生率と死亡率が低下して、比較的人口が安定しはじめていたという事実である。日本でいえば江戸時代、英国でいえば名誉革命以降にあたる。

 全体的に見て、中緯度の島国である英国と日本は、大陸性の激しい気候変動も少なく、民族移動や騎馬民族の来襲を受けにくく、また熱帯性の伝染病の蔓延も少なかった。日本における戦国時代や英国におけるピューリタン革命の内戦も、ヨーロッパ大陸における30年戦争や中国大陸における戦禍の死者の割合と比較すれば、決して大きいわけではない。また、ヨーロッパでは14世紀と17世紀にペストが大流行し、とくに14世紀のペストでは人口の半分が死亡したと推定されているが、英国は比較的その被害は軽微であった。また、日本では歴史的に大きな伝染病被害はない。さらに、江戸時代というと三大飢饉に代表される貧しさの印象があるが、日本の飢饉による死者は、世界規模で見れば、はるかに少ない。こうした状況で、ユーラシアの東と西の端の島国では、人口の安定が確立されたのである。

 マクファーレンのこの一連の分析がどの程度妥当なのかはわからないが、少なくとも、日本は自然災害が多く、それによって人々が助け合うようになり、かくして現代では、災害があっても理想的な被災民となると推定するにはかなり無理がある。おそらく「理想的な被災者」は、いろいろと複雑な要因の結果であって、簡単な回答はない。とりあえず2017年の宿題を今年中に終えられました。ご質問、ありがとうございました。

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