2024年10月16日水曜日

『国家はなぜ衰退するのか』を読む―アセモグルとロビンソンのノーベル経済学賞受賞

  2024年のノーベル経済学賞は、ダロン・アセモグル、サイモン・ジョンソン、ジェームズ・ロビンソンだったが、このうちアセモグルとロビンソンによって執筆された『国家はなぜ衰退するのか』について、簡単に感想を述べてみたい。この著作に出会うまでは、私は、『銃・病原菌・鉄』の筆者であるジャレド・ダイアモンド教の信者のようになっていて、地勢的・生態学的要因で文化的多様性を説明するというアプローチに魅了されていた。民族の優劣という概念を用いることなく、文明の発展の不均衡を説明できるからである。

 しかし残念ながら、現代の国家の繁栄の不均衡には、ダイアモンドのアプローチも、文化や識字率などで説明するアプローチもあまり適してはいない。とくに、1500年以降の不均衡については、もともとは地勢的・生態学的要因の影響があったかもしれないが、それによって形成された制度 (institution) がかなり独り歩きをして影響を与えているからである。たとえば、北朝鮮と韓国を比較してみよう。韓国と北朝鮮は、地勢的・生態学的にも似ているし、どちらも東洋の儒教文化の影響を色濃く受けており、また識字率も100パーセント近い。しかし1人当たりのGDPは、韓国は北朝鮮の10倍以上という開きがある。この理由は、誰の目にも明らかだが、政治制度の違いである。

 それでは、民主的あるいは資本主義的な政治制度が、専制的政治制度と比較して国家的繁栄をもたらすのかといえば、そんな単純なわけではない。重要な点は、政治制度が収奪的か否かである。つまり、富が一部の政治権力によって独占され、人々の経済活動が制限されると国は豊かになれない。もちろん、概して民主的な政治制度は収奪的ではなく、専制的な政治制度は収奪的である。実際、北朝鮮は韓国と比較すると、専制的であるだけではなく圧倒的に収奪的なのである。ただし、専制的ではなくても、法が守られず財産権が不安定な場合は経済活動への基本的インセンティヴが生まれにくくなり、収奪的になる。収奪的な政治制度下では、多くの国が貧しい。また歴史的にみても、たとえば繁栄を極めたローマが没落した理由は帝政になって収奪的な政治制度が確立したためであると推定される。大航海時代の先陣を切ったスペインも、帝国の収奪的制度によって後発のオランダと比較して発展しなかった。

 ただし、収奪的政治制度での成長も不可能ではない。独裁者の利益と産業の発展が一致すれば、国はある程度豊かになる。スターリンによるソビエト連邦の経済成長や、朴正煕による韓国の工業化がその代表的な例だろう。このような発展は、独裁者と周囲のリーダーが優秀で、地位を脅かすライバルがいないところで可能である。地位を脅かすライバルが多いとシエラレオネのようなケースになる。シエラレオネは、比較的貧しいアフリカの国の中で特に貧しいが、かつて小さな王国の乱立時代に、他勢力を益するという理由でその地方のせっかく建設された鉄道が廃止されたりしたことがあった。これでは豊かになりえない。なお、韓国はその後の民主化によって、工業化をベースとして益々豊かな国になっていったが、民主的とは程遠かったソビエト連邦は崩壊してしまった。

 また、本書は、政治社会学の古典的理論であるリプセットの近代化理論に異を唱えている。リプセットによれば、すべての社会は成長とともに近代化、民主化へと向かうとされる。これにしたがえば、ある程度豊かになった中国は民主化向かうはずだったがそうならなかった。豊かさが民主主義を生むのではなく、収奪的政治制度を持たない民主主義が豊かさをもたらすのである。

2024年10月14日月曜日

国際シンポジウムを振り返ってー改めて合理性について考えてみる

  92-3日に行われたThe International Symposium on Rationality: Theories and Implicationsは、国際共同研究強化(B)に支援を受けた単発の国際シンポジウムである。2件のキーノートと27件の発表があった。近年、合理性についての議論がさまざまな視点から行われ、認知心理学や社会心理学、哲学、工学等にまたがる学際的な領域の研究になってきている。また、学際的な理論としての発展が著しく、同時に、政治的分断やフェイクニュース・陰謀論などの非合理的な思考が世界的に問題視される中で、合理性についての議論は非常に重要になってきていると思う。

 2件のキーノートについては前回の記事で述べた通りである。27件の発表は、Rationality and irrationalityDual-processMorality and rationalityCultural rationality“、およびCooperationというセッションに分かれて行われた。Rationality and irrationality”では、合理性・非合理性に直接言及があるテーマの発表が集められていた。たとえば、日本学術振興会で招へいされた、Iqbal Navedの発表は、インドにおけるフェイクニュースや陰謀論についてのものだった。これらは、トランプ支持者たちの専売特許のように語られてきたが、どこにでもある現代の現象としてとらえることができるだろう。Dual-processは、二重過程理論について、あるいはこれに基づくテーマの発表であった。内省的なシステムが直感的なシステムを制御していくという二重過程理論のモデルは、心理学において合理性を議論するときに最も使用される枠組みである。Morality and rationalityでは、モラル推論についての発表が行われた。トロッコ問題のモラルジレンマが研究されるようになって、モラルも合理性の重要なテーマとなったが、このセッションでは、意図と責任・モラルの関係が議論された。Cultural rationalityには2つの視点ががある。1つは、所与の文化の中で人間がどのように合理的に振舞うのかという視点で、もう1つは、作られる文化自体が合理的かという視点である。比較文化研究から、モデリングツールのデザインまで興味深い研究が目白押しだった。

 さて、近年合理性研究から注目されているのが、Cooperationである。というのは、ヒトの脳あるいは認知アーキテクチャーは、集団を構成する社会的哺乳類として進化したヒト特有のものであると考えられており、集団内での適応という点で際立った機能を発揮しているからである。生存のための競争が集団間や集団内で行われた結果、知能や共感が進化し、モラルや信頼、「協同(cooperation)」が生まれたと考えられる。皮肉かもしれないが、「人間の思いやり」は争いの結果生まれたといえる。

 このシンポジウムは、すべて英語で行われた。そして特に院生をはじめとする若手の日本人・中国人研究者に英語口頭発表デビューをしてもらった。日本でこういう試みを行うと、「英語がうまくないくせに」などの陰口があるかもしれず、若手は英語の口頭発表をためらいがちになる。しかし、せっかくの面白い研究内容が日本語でしか発表されないとすると、海外の研究者にその声が届かない。これは大きな損失である。また、海外の研究者は日本人が英語が上手いか否かのテストをしに来ているのではなく、研究内容を知ろうとして日本に来たわけである。少々下手であっても臆する必要はない。若手研究者には、これで度胸をつけて、次につなげて欲しいと切に願う次第である。

 

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