2024年6月10日月曜日

日本認知心理学会優秀発表賞を受賞しましたー”Cultural differences in preference for enthymemes: A cross-cultural study of the Japanese, Koreans, Taiwanese, French, and British”

  61日と2日に帝京大学で第21回日本認知心理学会が開催され、私は昨年度の発表について、優秀発表賞 (国際性評価部門) として評価していただいた。学会の発表賞は、どちらかといえば新進の若手研究者が受賞するという印象が強く、この年齢になって今さらとも思うのだが、評価していただいたことは素直に喜びたい。それよりも年配になったら研究から引退するものだと自分自身の研究に自制気味の高齢研究者に対して、大きな励みになるのではないかと思う。

 ただし、表彰していただいた研究については、実は、海外の学術誌に不採択になってかなりフラストレーションがたまっている状態なのである。この研究は、Edward Hallの、西洋の低コンテクスト文化・東洋の高コンテクスト文化という区分の検証を試みたものである。コンテクストとは、コミュニケーション時に話し手と聞き手が暗黙の裡に共有される知識で、話されたことを解釈するのに利用される。このコンテクスト依存度に文化差があり、東洋では概して高く、高コンテクスト文化が形成されているというわけである。日本語は、阿吽の呼吸などのように、あいまいな表現で意味の伝達が可能だということで、高コンテクスト文化であるという実感があるが、多くの研究は言語学からのアプローチのもので、心理学の実証的な比較文化研究は少ない。

 そこで、私は、「省略」をキーワードにして研究を開始した。つまり、高コンテクスト文化では、コンテクストの使用度が高いので、その分、省略が可能になる。たとえば、日本語で主語の省略が可能な理由は、主語が明示的に述べられていなくても、コンテクストを使用して復元可能だからである。したがって、高コンテクスト文化の人々は、省略を受け入れやすいということになる。しかし、これを比較文化的に実証しようとすると難しい。たとえば、日本人と英国人に主語を省略した母国語の文を提示して受容度を測定し、日本人の許容度が高いことを示しても、文法的差異として一蹴されるだけであろう。

 そこで私が目を付けたのは、省略三段論法 (enthymeme) である。「すべての人間は死ぬ。ソクラテスは人間である」から「ソクラテスは死ぬ」を導くのが三段論法だが、この「すべての人間は死ぬ」を省略したものが省略三段論法で、この場合、「ソクラテスは人間である。ゆえにソクラテスは死ぬ」としても、ほとんど不自然ではない。ただし、この許容度に文化差があるのではないだろうかということで、日本人、韓国人、台湾人、フランス人、英国人からデータを収集した。さらに、「すべての人間は死ぬ」ならだれでも知っている陳述なので、知られていない、たとえば「すべての消しゴムには硫黄分が含まれている」のようなものも追加した。熟知度の低い陳述文だと、文化普遍的に省略は受容されないと予想したからである。この変数は、相手が何を知っているかに合わせて言い方をスイッチするコードスイッチングにかかわるものである。このコードスイッチングは、高コンテクスト文化の人々にみられる現象のようである。

 仮説は2種類ある。第1は西洋人と東洋人の区分で、東洋人がより省略三段論法を受容し、コードスイッチングを行うというものである。第2は、それに加えて、中国語は日本語や韓国語に比べて主語をはじめとする省略が少ないので、台湾人はおそらく日本人や韓国人よりもコンテクスト依存度が低く、これらの傾向が弱いというものである。実験の結果、省略三段論法の受容については、これらの仮説に何も言及できず、コードスイッチングについてのみ、英国人と台湾人が日本人、韓国人、フランス人より行わないことがわかった。コードスイッチングについては、西洋と東洋というより使用言語の影響が強いという解釈が可能で、私自身は個人的に興味深い。しかし、クリアな結果ではないだけにレビューアーに理解してもらうのは容易ではないのだろう。



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