文学部は何を目標とすべきか。そして心理学はどういう点でその目標に貢献できるのか。これは、私が現在の大学の文学部・文学研究科に赴任して以来、ずっと考え続けている重要課題である。残念ながら文学部は、経済学部や法学部と比較して社会の役に立つとあまり思われてはいない。しかし、人間あるいはヒトとは何なのかという問題を追及する人文学あるいは人間学を追求できる組織としての諸領域を包括しており、またそれを求められているのではないかと思う。いや、仮に社会において現実にそのような要請がなかったとしても、人間・ヒトとは何かという見解を示し続けることは必要だろう。
人間・ヒトとは何なのかという問いには、それぞれの学問領域によってさまざまな回答がある。たとえば、経済学ならば、ホモ・エコノミカスと捉えての追求がなされるかもしれない。一方、文学部というところはさまざまな領域が含まれているが、それぞれの領域は、社会的哺乳類としてのヒトが集団あるいは社会を構成し、その環境でヒトらしくあるいは人間らしくなってきた戦略の研究と位置付けることが可能である。たとえば、集団内の利害調整のために何が正しいのかを模索しながら道徳を考案するという戦略は、現在は倫理学によって研究が行われている。また、集団内の人々を結びつけるために、あるいは他のメンバーを説得するために、言語、さらには物語が考案されたが、これらは現在では言語学や文学の研究領域となる。人々を結びつける戦略としては宗教も考えられるが、創造された「我らの神」は、副産物として「救済」と呼ばれる死の恐怖の緩和をもたらしている。この戦略を研究対象とするのはもちろん宗教学である。有史以降あるいは近代になってからの戦略には、集団メンバーの識字率上昇や知識の共有のための教育システム、社会が人々の幸福のために機能するためのデバイスなど、教育学や社会学の対象となるものが含まれる。この視点から見れば、心理学はこの戦略時に頭の中で行われていることあるいは戦略実施を可能にする能力を明らかにすることが期待される。また、歴史学は、これらの戦略の発展の記録である。
これらの戦略を総称したものが「文化」である。文化というと、芸術などが思い浮かぶかもしれないが、広義には、社会集団を発展的に維持するための戦略あるいはソフトウエアと解釈することができる。すると、法システムや経済システムの構築も当然ながら文化に含まれるが、これらを対象とする研究が行われるのは法学部や経済学部であって通常は文学部ではない。しかし、いずれも戦略としての文化の研究であるといえる。
ヒト・人間とは何かという問いへの文学部が可能な回答は、このような文化という戦略を創始・発展させてきた種であるということになる。つまり、ホモ・クルトラエ(culturae)なのである。実際、文部科学省のウェブサイトの人文学の機能というページには、人文学は、個別の研究領域に背後にあって知識を生み出している「人間」についての学であると記されているが、ここで記した私の見解は、この文言の「知識」を「社会的集団としての戦略」に置き換えたものと一致する。社会とは何なのか、文学とは何なのかなどは、この目標の下位に位置づけられ、また、法律とは何なのかや政治とは何なのかという問題も包括する。