2022年5月22日日曜日

ロシア(ソビエト連邦)軍は、人命軽視の伝統があるのか?

  人命軽視の軍隊というと、玉砕と呼ばれる自殺的戦闘や神風という自殺的攻撃に代表される旧日本軍の専売特許と思っていた。しかし、ウクライナ侵攻でのロシア軍の死傷者やウクライナ市民への残虐行為をみると、ロシア軍には人命軽視の伝統があるのではないかと思ってしまう。ウクライナで傍受されたロシア軍内での無線通信には、「われわれは使い捨ての駒。平和な市民を殺している」と嘆く兵士の声があるようだ。

 第二次世界大戦において、ソビエト連邦の軍人と市民の死者は群を抜いて多い。中学生の頃に私がこれを知ったとき、ナチスドイツが残虐だったから程度の理由を想像していた。しかし、いろいろと条件が異なるのかもしれないが第二次世界大戦で全土をナチスドイツに占拠されたフランスでの戦死者ははるかに少ない。また、ロシアは第一次世界大戦での戦死者も参戦国の中で最も多いという事実を加味すれば、やはりロシア軍あるいはソビエト軍になにか欠陥があるのではないかと勘繰りたくなる。ナチスからの解放者の名誉を与えられてしまって、その悪行が世界で喧伝されることはナチスに比較して極めて少ないが、スターリンは恐ろしく人命を軽視している。そして、今回のウクライナ侵攻でもそれが露呈したように思われる。

 前回の投稿で「海洋」と「大陸」の対照を行ったが、この背景を突き詰めると、どうしても「大陸」が抱える問題に行きつくように思う。この点が指摘されているパイオニア的文献は、梅棹忠夫の 『文明の生態史観』だろう。梅棹は、ユーラシアの東西の端で比較的高度な文明が発展したことを説明するために、ユーラシアを、中央の乾燥地域、それに隣接する東欧と中国、端に位置する西洋と日本に分類し、東西の端が、中央の乾燥地域の「暴力」を受けにくかったと提唱している。中央の乾燥地域が「暴力」的であるとする根拠は、ここでは騎乗によって専制的な軍事帝国が形成されやすく、農業地域である中国や東欧を侵略したという過去の歴史にある。現在の視点からすると少々乱暴な主張だが、海洋での交易よりは、領土が直接接する大陸での交易は、戦争に結びつきやすいというのは真実だろう。

 ただし、これらの考察から、ロシア人個人が残虐であるという結論は導くべきではない。「バイキングの伝統から北欧人個人が残虐である」という結論を導くべきではないのと同じ理由である。文化差は個人差ではなく、何らかの状況に対する適応的な行動である。

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「海洋時代」から「新大陸時代」へ?202258日毎日新聞の記事から

2022年5月8日日曜日

「海洋時代」から「新大陸時代」へ?―2022年5月8日毎日新聞の記事から

  58日付の毎日新聞に、中国あるいは中国人民の心情的ロシア寄りである理由について、外交問題で中国政府のアドバイザー役も務めた研究者のインタビュー談話が掲載されている。ロシア寄りの大きな背景的理由が、「海洋時代」から「新大陸時代」が来るという歴史観が共有されているという主張が行われている。つまり、「海洋時代」とは、過去数百年の、西欧諸国の文化、経済、軍事的な影響力の中にある世界で、海を通じて他国を支配し、植民地化した時代というわけだ。しかし、彼によれば、もはや「海洋時代」は終わろうとしており、中国、ロシア、インドといった国が大陸を通じて連結を深める「新大陸時代」が到来するというわけだ。

 中国には、この「海洋時代」に大きく被害を受けたという被害者意識が強いのだろう。確かに、清朝末期は列強の食い物にされ、日中戦争では大きな被害を受けた。しかし、この被害者意識だけで自国を語っていては、「大陸時代」がいかに暗黒であったかという事実に目をふさぐことになる。中国とソビエト連邦あるいはロシアは、中央アジアの多くのシルクロード交易国を侵略し、自国の領土にしている。最後の遊牧帝国であるジュンガルも、18世紀半ばに清朝によって滅亡させられている。ソビエト連邦は、崩壊時に多くの共和国を独立させたが、中国は、東トルキスタン(ウイグル)とチベットを独立させないどころか、多くの漢人を入植させ、自国化している。これは、ソビエト連邦やロシアが行っている、元の住民を強制移住させたり収容所に送ったりして自国民を入植させるという方法と同じである。遊牧民は、農耕民の富を奪いに来る野蛮人なので文明化しなければならないという発想が「大陸時代」のバックボーンならば、「新」が付こうが「新大陸時代」などまっぴらである。もし、「新大陸時代」という用語を平和な共存の意味で使用したければ、少なくとも東トルキスタンとチベットの独立を認めるべきだろう。

 歴史的に、「海洋時代」の植民地支配は、植民地支配というよりは交易が目的である。交易が自国の思い通りにならなかったときに武力を使用し、その結果の植民地である。当初は、ポルトガルによるゴアやマカオ、英国の香港というように、植民地というよりは交易拠点を設けることが目的だった。それに対して中央アジアにおける交易地には、さまざまな国の奪い合いという歴史がある。いったん占領すれば、そこを奪い返されないように自国化するという傾向は、海洋国よりは強い。中央アジアの歴史はその結果なのだろうが、これを進路変更できるのは、少なくとも「新大陸時代」という発想ではないことは明らかである。