武漢でウイルスによる肺炎が流行しているようだというニュースを聞いたとき、私もまさかその後、世界がこのような惨状になるとは夢想だにしていなかった。当初は、空気感染しないということや、致死率の低さから、それほど恐れる必要がないのではないかとも思っていた。しかし、感染力の強さは尋常ではなく、感染が大きく拡大している。とくに、感染者の急増と病院内での医療従事者の感染による医療崩壊のリスクは非常に高く、医療崩壊すれば医療が受けられない感染者が増え、治療を受けられなければ致死率が跳ね上がる可能性もある。ということで、京都から大阪に通勤する私自身もかなりの恐怖を感じている。
短期間で終息させる最良の方法は、人と接する機会をことごとく遮断することだろう。しかし、これでは生活が成り立たなくなるということで、現在の政府は、「自粛」を促して、経済は完全にストップさせず、とにかく医療崩壊を起こさないようにすることを第一目標にしているようだ。ピークを先送りして感染が集中しないようにして、そのうちに治療方法が開発されると考えているのかもしれない。
しかし、イタリアやスペイン、あるいはアメリカのニューヨークを見ていると、これで良いのだろうかという疑念も湧く。イタリアやスペインでは、感染者が頭打ちになったとも聞くが、最悪の状況として、多くの人々が感染し、医療崩壊が起こり、医療を受けられない患者が増えて致死率が10パーセント以上になるだけではなく、それ以外の病気を抱えた患者の死亡率も上昇するという可能性も十二分にある。治療できるリソースが限られてくれば、「死んでもいい人」と「治療する人」に分類するトリアージを適用しなければいけなくなるかもしれない。これは地獄を見ることになる。
感染者が人口の過半数を大きく上回り、多くの人々が免疫を持てば、この事態は収束するだろう。しかし、高齢者や医療弱者を中心にかなり人が亡くなり、人口も減少する。ところが、高齢者人口比率問題を抱え、年金と医療費が頭痛の種である国にとっては、これは幸いかもしれない。このザ・デイ・アフターの可能性は、ヨーロッパにおいて猛威を振るったペストを連想させる。14、15世紀の大流行の後はヨーロッパの人口が半分くらいになったようだ。いたるところにもう助からない患者や死骸が横たわっている惨状は、地獄絵のように多くの絵画に描かれている。ところが、経済統計学者によると、ペストが去った後は、人々は豊かになったらしい。つまり、土地にむすびつく資産・資源が限られている状況で、人口が減ると、残された一人一人は豊かになるというわけである。そして、この豊かさがルネッサンスの要因の一つだともいわれている。
この豊かさを伴ったザ・デイ・アフターの到来を望む気持ちは、日本あるいは世界の国々の為政者や人々の心の片隅に居座っていないだろうか。弱者切り捨ての優生保護の悪魔からのこのささやきに、お願いだから抵抗してほしいものである。
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