2020年2月15日土曜日

ジャレド・ダイアモンドの『危機と人類』を読む(3)ー日本は戦争責任の反省をしていないのか?


 これまでのジャレド・ダイアモンドの書籍は、『銃・病原菌・鉄』に始まって、『文明崩壊』や『昨日までの世界』など、どれも評価が高い。ここで紹介している『危機と人類』も傑作だと思えるが、これまでの書籍と比較して、アマゾンなどでも日本人から否定的な評価を受けている部分がある。それは、日本の戦争責任について記述した部分についてである。現代の日本の危機として、周辺国(韓国、中国、北朝鮮)とのトラブルがあるが、それが戦争責任の反省および謝罪が足りないためであると主張されている点が問題であり、視点が少々一方的ではないかということだ。

 これまで、しばしば韓国から、反省と謝罪について「ドイツを見習え」というメッセージが送られているが、これに反発する日本人は少なくない。とくに、ここ数年の文在寅の政策的反日には、日本人だけではなく、韓国人からもやりすぎだと批判が起きている。私も個人的には、日本が行ったこととドイツが行った特定の民族浄化とはレベルが違うので、比較することは無理なのではないかと思っていた。

 しかし、ドイツが行った反省と謝罪について記された箇所を読むと、確かに日本は反省不足だったのではないかとも思える。ドイツでも、連合国によるニュルンベルク裁判の後の1950年代はナチス協力者への追及はあまり行われていなかったようだ。政府役人が務まりそうな人物の多くがナチス協力者なので、全員を追及すると役人になれる人材がいなくなるのである。しかし、1958年にナチス犯罪追及への中心的機関が設立され、その追及の一環として、フリッツ・バウアーがアドルフ・アイヒマンの潜伏先を突き止めている。また、ミュンヘン近郊のダッハウの強制収容所跡に博物館が設立され、残虐な歴史的資料が解説とともに展示されている。これらは、「ドイツ人は自らを裁くべし」という姿勢で貫かれていて、このような流れが、1970年のブラント首相によるポーランドにおける謝罪に結実している。

 いくらやったレベルが違うといっても、確かに日本はドイツと比較してこれほどの反省・謝罪を行っていない。不十分さが感じられるのは、戦争責任者を戦後の政界から排除することと教育である。とくに、中国や韓国(あるいは北朝鮮)の人々が不満を抱いているのは歴史教育で、真珠湾攻撃は教えられていても、日本が日韓併合で何を行ったのか、日中戦争時にどのような残虐行為があったのかの教育が不十分だろう。南京虐殺については被害者数についていろいろと不明点もあるが、似たようなことはあったはずだし、捕虜に対する人体実験や、ペスト菌、コレラ菌、パラチフス菌等を撒布した浙贛作戦はまだまだ知られていない。橋本龍太郎首相は1997年に「心からのお詫び」と「深い反省の気持ち」を表明した。しかしこれは、日本のざまざまな残虐行為の証拠が露になったので不承不承行ったという印象が中国や韓国の国民の間で強いのである。

 フランスもアルジェリアに対して行っては十分な反省・謝罪は行っていないようであり、国家間のこのような交渉は難しい。しかし、今すぐに日本で可能なことは教育だろう。イデオロギーに関わるのでついつい表面的に流されている20世紀の歴史教育をもう少し手厚くし、加害の歴史を、たとえば上野の博物館群のどこか、あるいは大阪の歴史博物館などではっきりと展示するのが良い方法ではないかと思う。過去を反省できることは、真の国力の一面なのではないだろうか。

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