2019年3月14日木曜日

江戸幕府の森林の保護―日本人は自然を愛する国民?


 森林は、温暖化防止だけではなく、生物多様性を支えるためにも重要である。また、ジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』においても、森林を守ることができるかどうかが文明を支えるために重要であることが示されている。さて、日本は人口が多いにもかかわらず森林の占める割合が高いのだが、この面積割合は、自然が豊かかどうかの指標の一つになる。

 日本は江戸時代の前期に大きな森林破壊危機に見舞われている。戦国時代が終わり、江戸時代になると人口も増えて町が発達し、材木の需要が増大したためである。とくに、1657年の明暦の大火によって江戸の半分が消失したあと、需要はピークに達した。その需要を満たすべく山林が伐採され、森林は大きな危機を迎えたのだが、その後、みごとに復活して現在に至っている。しかし、実はこれは、日本人が自然を愛する民族の証拠となるわけではないことを、私は、拙著『日本人は論理的に考えることが本当に苦手なのか』で述べている。

 森林破壊は、前回の記事でも述べた「共有地の悲劇」をどのように避けるかが重要な問題である。これを防ぐためには、共有するメンバーが、道徳的に自制するか、強力な法制によって取り締まるかどちらかである。江戸時代の森林再生の成功の第一の理由は、この共有地の悲劇を幕府主導によるトップダウン的な森林の管理統制によって防いだという点である。第二の理由は、森林伐採による被害が非常に目に見える形で現われたという点である。日本の山々は急峻で、山地の樹木を伐採することによって、土砂崩れや水害などの災害が起きやすい。伐採による災害が目に見えて明らかなので、幕府や藩も森林保護に本腰を入れ、また、人々へ取り締まりも説得力があっただろう。もし、被害が目に見えにくければ、このような政策はなかなか実を結ばない (1990年代の温暖化がその典型的な例だ)。第三の有利な点は、日本列島が比較的温暖で湿潤であり、また火山島でユーラシアから黄砂が飛来するという点である。火山は地下から植物の生育に有利な物質を地表にばら撒き、中国から飛来する黄砂は肥沃なのである。したがって、森林を伐採した後であっても、それを再生させるという点で非常に有利だったのである。

 私は、日本人が自然を愛する民族ということを否定しているわけではない。ただ、「日本人が森や木を始めとする自然を愛する民族だったので森林を守ることができた」という説明よりも、上記の説明のほうがはるかに説得力があるならば、わざわざ「国民性」のようなナショナリズムに結びつきやすい概念を持ち出す必要はないということが言いたいわけである。

 さらに、実は、幕府は森林伐採を統制すると同時に、森林からの利益に代わるものとして、アイヌとの交易を大幅に拡大させた。アイヌからはサケの燻製やシカの皮などが輸入され、米や綿などがアイヌにもたらされた。その結果、サケやシカは激減し、北海道の自然破壊となって自給自足のアイヌは急激に人口を減らしていった。これは、特定の自然を守るために、別の自然が損なわれるという典型的な例なのである。幕府には、北海道の自然破壊は目に見えていなかっただろう。あるいは、目に見えていたとしても、どうでも良いことだったのだろう。

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