2019年1月7日月曜日

レーザー照射をめぐる韓国の反応―非属人性が未成熟なのでは?


 文在寅が大統領に就任以来、日韓問題の再燃を懸念していたら、2018年末のレーザー照射に端を発した理解しがたい一連の事件が起きてしまった。慰安婦問題ほど尾を引くことはないとは思うが、一連のドタバタは、韓国にかなり好意的な日本の識者やメディアも、ほぼ100パーセント韓国側に責任があると考えているようだ。

 かたくなに照射を認めず、謝罪をするどころか、謝罪を要求してきたこの異常さの理由を、「反日を国是としている」や「恨の文化」などからも説明できるかもしれないが、非属人性の未成熟という点からも論ずることができると思う。1028日の記事でダグラス・ノースの『暴力と社会秩序―制度の歴史学のために』を紹介したが、彼は、アクセス制限型秩序―アクセス開放型秩序という区別を提案している。ここでいうアクセスとは、国民からの富や情報あるいは意思決定へのアクセスであり、民主的な国になるためには、アクセス開放型秩序に移行しなければならない。この移行のための重要な要因が非属人性である。つまり、法やルールなどが、人間に属するものから離れて、非属人的に運用されなければならないわけである。言い換えれば、誰がトップに立っても法の運用は同じでなければならないということが、非属人性である。

 実はノースの2009年のこの著作によれば、東洋では、中国だけではなく韓国もアクセス開放型秩序の国とみなされていない。個人的には私は、韓国は十分に民主主義の国と考えていただけに、引っかかるものがあった。しかし大統領が交代するたびに積弊清算という名のもとに前大統領や前大統領の下でさまざまなことに尽力していた人が罪に問われたり冷遇されたりする実態は、やはり、ルールなどが属人的であるということを示しているのかもしれない。積弊清算とは、長い間に積もった害悪を清算するという意味があるが、朴から文への大統領の交代とともに起きた一連の積弊清算はかなり惨かった。「正しいこと」が、大統領が交代しただけで変化するようでは、民主主義国家をつくることは難しい。その結果生ずることは、権力者に都合が悪いことは、白も黒と言いくるめることが日常化してしまうことである。

 2009年の時点で、ノースが韓国はアクセル開放型秩序ではないと判断した理由は、彼の著作の中で明示されているわけではないが、アルゼンチンなどの南米の国々などと同じように、アクセスの制限による経済活動における腐敗や不正が根拠のようであった。経済活動については私はよくわからないが、文大統領の積弊清算の惨さを見ると、やはり非属人性が未成熟という印象をもつ。韓国は恨の文化だとか、感情がルールを超えるといわれているが、恨みなどの感情はどこの国においてもあって人類普遍である。それが権力者を取り込んだ時に、その属人性からとんでもないことが起きると解釈したほうがいいのではないだろうかと思う。

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