2018年12月6日木曜日

なぜこの程度のコメントで「納得」した気分になるのかー勝谷誠彦氏のあるコメントを題材として


 先日、コラムニストの勝谷誠彦氏が亡くなられた。勝谷氏には申し訳ないが、2011年の認知心理学会のシンポジウム「21世紀市民のための思考研究の理論と実践」で登壇させていただいたときに、彼のある事件へのコメントを題材に、「なぜこの程度のコメントで人々が納得した気分になれるのか」と、かなり批判的な立場で議論した記憶がある。さて、以下の3つのコメントで、勝谷氏による本物はどれだろうか? 残りの2つは私が作成したものである。

(1) 愛知県の東名高速道路で起きた高速バス乗っ取り事件で、監禁と銃刀法違反容疑で逮捕された中学2年の少年について

「誰でも簡単にナイフが持てる時代で、『周囲の注意を引き付けたい』という達成感を得ることだけが目的になっている。どうにかその達成感を表したいから、バスを乗っ取るという安易な方法をとる。乗っ取り・監禁までしてしまうのは自己愛の暴走。自分を『世界に一人だけの花』と思いこむ人間が増えて、そこに事件を起こすことがその証明だと勘違いしてしまう。豊かなようで、精神の貧困な時代の象徴だ。」

(2) 学校に無理難題をおしつけるモンスターペアレントの問題について

「誰でも簡単に教師に文句が言える時代で、『学校・教師に勝った』という達成感を得ることだけが目的になっている。どうにかその達成感を表したいから、学校にクレームをつけるという安易な方法をとる。学校の教育方針にまで口をはさむのは自己愛の暴走。自分を『世界に1つだけの花』と思いこむ人間が増えて、学校を屈服させることに自分という存在が残ったと勘違いしてしまう。豊かなようで、精神の貧困な時代の象徴だ。」

(3) イタリアの世界遺産であるフィレンツェ市のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂において日本人の落書きがあったことについて

「誰でも簡単に海外に行ける時代で、『そこに行った』という達成感を得ることだけが目的になっている。どうにかその達成感を表したいから、落書きという安易な方法をとる。実名まで書いてしまうのは自己愛の暴走。自分を『世界に1つだけの花』と思いこむ人間が増えて、そこに自分という存在が残ったと勘違いしてしまう。豊かなようで、精神の貧困な時代の象徴だ。」

 正解は、(3)で、産経新聞の2008年の629日付のコメントである。認知心理学会では私が作成した偽の例がすでに知られていたようで、比較的正解者が多かったが、これ以外の場所で話したときは、正解はほぼチャンスレベルであった。さらに、(1)でも(2)でも納得できるようなコメントで、AIによる事件コメント生成プログラムが簡単に作成できそうだという意見もいただいた。

 勝谷氏や産経新聞には申し訳ないが、シンポジウムで提起した問題は、なぜこの程度のコメントで人々があたかも「納得した」かのような錯覚を抱くのかということである。私がシンポジウムで主張した結論は、素朴心理学的な因果説明と、安直なビッグワードの使用である。素朴心理学とは、科学的に検証されているわけではないが、人々が直感的に信じている因果連鎖から構成される。ここでいえば、「自己愛傾向が高い人は、目立つところに自分の名前を書く」や、「豊かになれば精神が貧困になる」という因果関係である。検証されたわけでもないのに、なぜこの程度のことを信ずるのかという問題はまだ明確ではないが、因果構造のシンプルさが理解を容易して、納得感をもたらすのだろう。

 もう一つの問題は、ビッグワードである。ビッグワードとは、抽象的でさまざまに解釈可能な記述用語だが、ここでは「自己愛」や「精神の貧困」が相当する。実は、「自己愛」は心理学ではかなり厳密な定義が試みられているが、日常語として使用されればビッグワードになる。どうにもならないのは「精神の貧困」だろう。精神の貧困とは何なのか? 明確ではないままに人々を納得させる怖い用語である。

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