3月にフランスのツール大学を訪問したが、今度はツール大学より、Veronique Salvano-Pardieu先生が来日されて、大阪市立大学にほぼ1か月滞在された。その間に、私を含めたいくつかのセミナーを日本側からのものとして提供し、それらの締めとして7月25日に、”Judgement of blame in children and adolescents
with intellectual disability, and in adolescents with autism spectrum
disorders.”というタイトルで、Salvano-Pardieu先生の講演会を行った。さらに、その前に、大阪市大側から研究員の谷口さんによる”How does psychological distance from a
crime case affect a guilty judgment? : Causal relationship between implicit and
explicit inference.” というタイトルでの研究発表もしていただいている。
どちらの研究も、犯罪や暴力などの不道徳的な行動に対してどの程度非難をするかというものである。谷口さんの発表は、犯罪に対する心理学的距離が量刑推定に影響を与えるとするもので、対象の心理的距離が遠いほど抽象的に理解するというTropeの解釈レベル理論の、犯罪領域における検証である。解釈レベル理論の予測通り、昔の犯罪は心理的距離が遠く、具体的な解釈がなされにくくなって量刑が小さく推定されるという結果であった。これをバイアスとすれば、量刑推定という実践的な司法領域への貴重な知見であるといえるだろう。
また、Salvano-Pardieu先生の研究パラダイムは、暴力などの不道徳行動がどの程度非難されるのかというものである。そして、主要な独立変数は、不道徳行動の意図性と結末の重大さである。ベースとなっている枠組みは、直観的な過程とその出力を制御する熟慮的な過程を想定する二重過程理論で、結末に対しては直観的な義務論的な推論が働き、意図に対しては熟慮的に心の理論が機能すると推定されている。つまり、結末の重大さは直観に訴えるのだが、その推論に対して意図が考慮された熟慮的な内省が制御的に働くというわけである。
現代のモラルの心理学は、コールバーグの古典的な研究から、さまざまな他領域の知見が導入されて、非常に大きな発展を遂げようとしていると思う。また、グローバル化しつつある現代において、さまざまな価値観を持った人々が共生を余儀なくされているが、そのような状況で、文化的価値観の違いから、道徳的衝突が至る所で発生している。それらの差異は、西洋と東洋、伝統的文化社会と都市文化社会の対立となって現れているようだ。お中元など、上司に季節の贈り物が当然という文化の出身者は、それが賄賂に当たるとされる文化に溶け込もうとすると困難を感じるはずである。また、このような衝突は、集団対集団、あるいは個人対個人だけではなく、個人内でも起きているはずである。集団の利益を優先するか個人の利益を優先するか、自分から遠い人よりも自分に近い人を優先すべきかどうか、私たちは日常においていろいろと迷いを感じている。このような問題に、私たちの研究がどれだけ貢献できるのかわからないが、学際的、比較文化的な道徳判断共同研究を始めてみようかなと思案中である。
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