2018年6月21日木曜日

昔はモラルは高かったのか―現在の学生の意見


 ワールドカップでなんと日本がコロンビアに勝つという非常に幸運な番狂わせを起こし、三連敗を予想した前回の記事の反省をしなければならないが、この総括はワールドカップ終了後ということで、今回は最近の私のテーマでもある、モラルの話題について触れたい。

 今年度前期は久しぶりに一年生配当の「人間行動学概論」の後半半分を担当した。この授業では、野生環境で進化した脳が現代文明を創り上げたという途方もないテーマについて触れるつもりでいる。それで第1回目の授業で、学生に、「現代はモラルが失われているといえるのか」という問いで、「戦前と比べて」、「封建時代と比べて」、「農業開始以前と比べて」思うところを簡単に書いてもらった。

 おそらく私たちの世代なら、多くの人が「モラルは失われた」と書くと思う。「同種を殺すのは人間だけだ」とか「昔は人々は平和に仲良く暮らしていた」という、今となっては間違っている言説を教え込まれてきた世代である。また、インターネットで検索すると、現代は豊かさの中でモラルが失われた時代だという主張が、恐ろしい数でヒットする。

 ところが、意外にも現代のほうがモラルが上昇したという回答が非常に多かったのである。もちろんモラルをどう定義するのか、何をもってモラルの高低の基準とするのかという議論が必要なのかもしれないので、簡単に比較することはできない。しかし、かなり学生は、戦前は全体的に帝国主義・軍国主義的という理由で、封建時代は身分による差別が大きかったという理由でモラルが低いと判断していた。「農業開始以前と比べて」については「わからない」とする学生が多かった。彼らのモラルの基準として、「民主主義的かどうか」は重要なようだ。

 私は、現在の学生が「現代はモラルが失われた」イデオロギーに毒されていないことを知ってほっとすると同時に、授業によってこのイデオロギーから学生を解放しようと意気込んでいたのが、拍子抜けしてしまった。彼らは、現在問題になっている高齢者の感情的暴発や、犯罪などから、この世代を作り出した文化的背景にあるモラルが決して高いわけではないとも推定したようである。そして、セクシャルハラスメントやパワーハラスメントなどが、「昔は許容されたかもしれないが、今ならアウト」というように、現代の基準の厳格化を敏感に感じており、「昔はよかった」という幻想を持っていないようだった。

 なお、私は1回目と2回目の授業で、現代の狩猟採集民の暴力性や、農業開始以前のホモ・サピエンスがいかに暴力や殺人・争いによって命を落としていたかという話をしたが、それによって「農業開始以前」と比べてもモラルが高くなったと判断する学生が増えた。もちろん、殺人の多さはモラルの尺度としては偏っているかもしれないが、学生には新鮮な情報だったようだった。

2018年6月10日日曜日

2018年ロシア・ワールドカップ予想


 私はサッカーについては完全な素人だが、ワールドカップのたびに順位予想ごっこをするのが慣例になっている。実際は、グループごとの順位予想から始めているのだが、ブログではベストフォー以上を予想してみたい。

 ドイツとブラジルが各グループ一位通過すれば、対戦するのは決勝ということになり、優勝はドイツではないかと思う。ドイツは、最近のワールドカップ前の親善試合でも苦戦をし、またセンターFWが超一流というわけではなく絶対的な強みはない。しかし、ブラジルと比べた場合の気候の有利さで優勝候補と判断した。また、ドイツはワールドカップ中にチームとして成長するという印象が強い。レーブがどのようにチームを引き締めていくのか、見ものである。

 ブラジルを優勝候補ともしたい。しかし、ブラジルの中心選手はヨーロッパで活躍しているとはいえ、6月に気候が異なるロシアで1か月滞在というのはかなり身体に影響を与えるのではないだろうか。ヨーロッパでの開催では、1958年のスウェーデン大会以来、優勝はない。さらに、ブラジルというとネイマール中心のチームというイメージだが、このチームは両サイドバックからの二本の槍が武器でもある。そのうちの一本であるダニエウ・アウベスをケガで欠くとなると、攻撃、守備ともに不安が残る。

 フランスがCグループ一位通過して勝ち上れば準決勝でブラジルと対戦する。今回のフランスチームは、タレントがそろい、組織力もあるいいチームだと思う。しかしブラジルを倒すほどの力があるかというとやはり疑問符が付く。ワントップはジルーなのだろうか。二列目のグリエーズマンや中盤のボグバと比較すると非力感は否めないのだが、なぜワントップのラカゼットを代表から外したのだろう。

 アルゼンチンは、メッシがチームの中で機能するかどうかが全てである。南米予選ではなかなか機能せずにメッシが戦犯扱いされた。しかし、ワールドカップ前に、ナショナルチームとして比較的合同で練習できる期間があるので、ベストフォーまでは勝ち進めるのではないかと思う。何といっても、メッシ以外にもタレントは豊富である。しかし、クロアチア、ナイジェリア、初出場の不気味なアイスランドがいるDグループは勝ち抜くだけでも大変で、グループリーグ敗退の可能性も低くはない。

 これら以外で上位に食い込んでくる、あるいは優勝候補と考えられるのが、イングランド、スペイン、ポルトガル、ポーランド、ベルギーなどだろう。ポルトガル、ポーランド、ベルギーには、それぞれワールドクラスのスターがいるが、やはり選手層が薄く、主力がケガをしたり、イエローの累積で出場停止になったりしたときに、ガタッと戦力が落ちる。イングランドは、この15年ほど、GキーパーとセンターFWの人材不足に悩まされてきた。今回はやっとセンターFWのケインとGキーパーのハートで解決できたかなと思ったら、ハートが代表入りしていない。上位に食い込むためには不安材料である。スペインは、黄金期のメンバーに陰りがさし、世代交代が今一つ進んでいないようだ。また、センターFWとして期待されていたモラタが代表入りしていない。ベストフォーはちょっと難しいのではないだろうか。個人的に期待しているチームはクロアチアである。モドリッチやマンジュキッチなどのワールドクラスのスターを擁してどこまで勝ち抜けるかちょっと楽しみなのだが、アルゼンチンと同じ死のグループにいる。グループリーグを勝ち抜くだけでも大変だろう。

 日本? 三連敗でしょう。全く期待しておりません。

2018年6月7日木曜日

霊長類とヒトの順位制についての忘備録


 残念ながら霊長類や人類学的な研究にこれまでかかわることはなかったが(今からでも遅くないかもしれない!)、ここ20年足らずの間、私はヒトの推論能力は社会的哺乳類として進化してきたという立場をとっている。そして、近年、モラルにも研究領域を広げようかなと考えており、とくに、進化的に古い直観的なモラル判断と、進化的に新しい熟慮的なモラル判断、さらにはそれらへの文化的影響と、野望や妄想だけは広がるのだが、なかなか実行力が伴っていない。

 社会的哺乳類の視点の中で注目していたのは順位制である。サルやチンパンジーが順位制をもっていることは知られており、かつては群れのトップはボスザルと呼ばれていたが、現代では、アルファという呼び方がなされている。この順位制は、採餌や交尾の優先権を決めておくというもので、争いを避ける点で非常に適応的である。推論能力は、この順位制のルールを学んだり、順位制をごまかしたり、そのごまかしを見抜いたりしあう中で進化したといえるわけである。

 「太古、人々は無垢な心で平和に暮らしていた。争うようになったのは、人々が武器や私有財産を持つようになってから」とする高貴な野蛮人説は、現代ではほぼ否定されている。私は、それと同じように、「太古、人々は身分の区別・差別なく仲良く暮らしていた。身分制は、人々が国家や文明をつくりあげてから」という見方にも、かなり疑義をもっていた。霊長類の順位制から現代文明で生きるヒトに至るまで、身分制は徐々に弱くなっていったという印象があったからである。

 しかしそれは完全に私の勉強不足であり、現在では、更新世(最終氷河期から氷河期末期まで)における狩猟採集民はかなり平等な社会だったのではないかと推定されている。人類学的調査から、彼らとほぼ同じ生活形態ではないかと推定される非農耕の狩猟採集民では、たとえ優秀なハンターであっても、平等な肉の分配という規範が行き渡っている。独り占めは許されず、それに対する道徳的非難は非常に大きい。そのような平等に至る進化の要因と考えられるのが「心の理論」である。つまり、心の理論によって、順位制における下位者の連帯が可能になり、上位者の横暴を許さないという社会システムができあがってきたわけである。これは、ボノボの社会においても見られる現象のようである。

 しかし、せっかくの順位制の崩壊も、古代国家の登場によって一気に後退してしまった。ヒトは、集団をどのように維持するかという問題を常に抱えながら進化したが、順位制を弱めた「心の理論」もその問題解決の一つである。一方、宗教や交換・贈答も集団の維持に役立ったが、それらは順位制をむしろ強化してしまった。およそ1万年前の農業革命で、交換の規模は大きくなり、豊かさをもたらして分業を加速させた。しかし、それによる職業の分化や私有財産の多寡が貧富の差を大きくし、豊かな人は益々豊かになっていった。同時に、さまざまな職種の中で神官が大きな力を持つに至った。これが古代国家の元になっている。狩猟の技術の差異くらいなら、強いリーダーを抑え込むような連帯が可能かもしれない。しかし、私有財産で差がついてしまうと、リーダーの権力は、連帯などで簡単に抑制できなくなってしまう。

 現代は貧富の差がまだまだ小さくないとはいえ、順位制を弱めて、かなり民主主義的な世の中になった。その時代・文化において、上位者に権力をふるうことができる道具があれば順位制は強化され、下位者に連帯のよき方法があれば弱体化されるものなのかもしれない。ということは、後戻りをさせないためには、連帯のよき方法を守り、権力をふるうことができる道具は可能な限り権力者に渡さないということが常に必要とされているのかもしれない。