ワールドカップでなんと日本がコロンビアに勝つという非常に幸運な番狂わせを起こし、三連敗を予想した前回の記事の反省をしなければならないが、この総括はワールドカップ終了後ということで、今回は最近の私のテーマでもある、モラルの話題について触れたい。
今年度前期は久しぶりに一年生配当の「人間行動学概論」の後半半分を担当した。この授業では、野生環境で進化した脳が現代文明を創り上げたという途方もないテーマについて触れるつもりでいる。それで第1回目の授業で、学生に、「現代はモラルが失われているといえるのか」という問いで、「戦前と比べて」、「封建時代と比べて」、「農業開始以前と比べて」思うところを簡単に書いてもらった。
おそらく私たちの世代なら、多くの人が「モラルは失われた」と書くと思う。「同種を殺すのは人間だけだ」とか「昔は人々は平和に仲良く暮らしていた」という、今となっては間違っている言説を教え込まれてきた世代である。また、インターネットで検索すると、現代は豊かさの中でモラルが失われた時代だという主張が、恐ろしい数でヒットする。
ところが、意外にも現代のほうがモラルが上昇したという回答が非常に多かったのである。もちろんモラルをどう定義するのか、何をもってモラルの高低の基準とするのかという議論が必要なのかもしれないので、簡単に比較することはできない。しかし、かなり学生は、戦前は全体的に帝国主義・軍国主義的という理由で、封建時代は身分による差別が大きかったという理由でモラルが低いと判断していた。「農業開始以前と比べて」については「わからない」とする学生が多かった。彼らのモラルの基準として、「民主主義的かどうか」は重要なようだ。
私は、現在の学生が「現代はモラルが失われた」イデオロギーに毒されていないことを知ってほっとすると同時に、授業によってこのイデオロギーから学生を解放しようと意気込んでいたのが、拍子抜けしてしまった。彼らは、現在問題になっている高齢者の感情的暴発や、犯罪などから、この世代を作り出した文化的背景にあるモラルが決して高いわけではないとも推定したようである。そして、セクシャルハラスメントやパワーハラスメントなどが、「昔は許容されたかもしれないが、今ならアウト」というように、現代の基準の厳格化を敏感に感じており、「昔はよかった」という幻想を持っていないようだった。
なお、私は1回目と2回目の授業で、現代の狩猟採集民の暴力性や、農業開始以前のホモ・サピエンスがいかに暴力や殺人・争いによって命を落としていたかという話をしたが、それによって「農業開始以前」と比べてもモラルが高くなったと判断する学生が増えた。もちろん、殺人の多さはモラルの尺度としては偏っているかもしれないが、学生には新鮮な情報だったようだった。