2017年10月26日木曜日

改憲論議の前に


 先日の衆議院選挙では、安倍晋三率いる自由民主党が多くの議席を獲得した。各党のさまざまな論点・争点がある中で、私が気になるものの一つに日本国憲法の改正、特に、第9条の修正がある。私はこれについては全くの素人ではあるが、心理学の立場からのグローバリズムへの適応等に関連して、どうしても関心が向いてしまう。

 改憲論議が盛り上がるのは悪くはないが、私の中では、その前にもっと議論して欲しいと思っていることがある。それは、パクス・アメリカーナと呼ばれる、第二次世界大戦以降あるいはソヴィエト連邦崩壊以降の、アメリカ主導の世界平和の評価である。もちろんこの議論は、努力して調べれば見つかるだろうが、少なくとも日本において、核の傘とか抑止力等以外にメディアで議論されることがほとんどないように思える。東西の冷戦時は、第三次世界大戦がいつ起こるかと危惧されていたが、幸い起こることはなかった。いくつかの代理戦争、小国同士の戦争、ジェノサイトなど不幸なことは起きたものの、今世紀に入ってからは、戦争やジェノサイトと呼ばれるものは消滅している(ただし南スーダンで進行中の可能性はある)。これは、世界の警察あるいは世界のリヴァイアサンたるアメリカ主体の国連軍事活動によるものなのだろうかという評価にもっと切り込んで欲しいのである。

 おそらく改憲派は、パクス・アメリカーナを高評価したうえで、それに追随した国際貢献できるための改憲ということになっているのだろう。しかしどういう意味で高評価しているのかという理由はあまり聞こえてこない。また一方で、護憲派(主として第9条を守れ派と呼んだほうがいいかもしれないが)については、この評価についての意見がほとんど聞こえてこない。否定的なのだろうか。

 なお、私自身は高評価派である。ただし、アメリカ主導のグローバル化の波は、それぞれの文化に価値があるとする文化相対主義的な視点からすれば、やはりいろいろと問題があり、戦争の消滅は、アメリカン・リヴァイアサンだけではないはずだ。もし低評価という人がいたら、そういう人たちの主張も聞きたいのである。

 こういうと私は改憲派と分類されるかもしれないが、パクス・アメリカーナ・レジームで、日本の現憲法のまま世界の秩序維持に貢献できる可能性を否定しているわけではない。核の傘のフリーライダーとしてではなく、あるいは単にアメリカン・リヴァイアサンを経済的支援するだけではなく、何か平和のシンボルとしての役割があるのではないかと模索したい。ただ、アメリカが、リヴァイアサンから手を引いたらお終いなのだが。

 なお、私のグローバリズムについての章は、以下のタイトルである。
A Perspective of Cross-Cultural Psychological Studies for Global Business
ResearchGateからなら無料でDLできる。


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