2023年の9月にパリで行われた2nd International Conference on Human and Artificial Rationalityでの発表の多くが、”Human and Artificial Rationality”というタイトルでSpringerから書籍として出版された。私は編集に関わると同時に、私自身の発表も” Are humans moral creatures? A dual-process approach for natural experiments of history”というタイトルで1つの章として含まれている。この内容は2023年10月7日の記事でも述べているが、再度紹介したい。
この小論の内容は、2019年に出版された、“Adapting human thinking and moral reasoning in contemporary society”の中の自分自身が書いた部分を発展させたものである。この小論では、「人間は道徳的な生物か?」という問いについて、道徳性が高まったのではないかとされる2つの時期を歴史の自然実験とし、それを「内省が直感を制御する」という枠組みで分析して、その答えを探るという試みがなされている。道徳性とは何なのかという定義的な問題は避けて、人間の暴力性(殺人や戦争など)が著しく減少した17世紀後半から18世紀にかけてのヨーロッパの啓蒙の時代と、暴力性の減少だけではなく人権意識も高まった第二次世界大戦後を歴史実験の材料として扱っている。
直感的システムによる人間の直感的で衝動的な反応は、新皮質に支えられた内省的システムによって抑制することが可能で、二重過程理論という用語が用いられていなくても、道徳性はこの枠組みで捉えられる。内省的システムは、ハード面では脳の構造の制約を受けるかもしれないが、ソフト面 (新皮質をどう使用するか) では教育の影響を受ける。とくに第二次世界大戦後の世界的な人権意識の高揚は、高等教育の普及
(大学進学率の上昇) やメディアによるさまざまな情報の伝達の影響が大きいと思われる。
そのような情報の中で、とくに大きな影響を与えたのは、ストーリーあるいはナラティヴによるものだろう。ヨーロッパの啓蒙の時代は、小説が人々に普及し始めた時期で、また第二次世界大戦後は小説などがいわゆる読書階級を超えて多くの人々に読まれるようになってきている。一般に、ストーリーの登場人物の心情理解
(認知的共感) とそれを感情 (情動的共感) に結びつける機能は直感的システムが担っている。この直感的システムがもつ感情の力は、人々の行動に直結しやすい。そこで私が提唱したモデルは、ストーリーが直感的システムに理解されて認知的共感と情動的共感を生み、それが道徳性への感情に結びつくというプロセスで、それを内省的システムが監視したり修正したりするというものである。このモデルで、人種差別、性差別、LGBT差別に反対という流れを説明できる。
もちろん、内省的システムが、このプロセスをうまく監視・制御できなければ、情動的共感が暴走することもある。たとえば、コロナワクチンの被害者に共感が働いて、「かわいそう」という感情がワクチン反対運動を引き起こしたりすれば、ワクチンを打たないことによって新型コロナウイルスに感染して引き起こされる被害を見落とすことになる。共感には、それを生み出す直感的システムの性質を受け継いで、「狭い」という問題がある。私たち人間は、このような共感同士の葛藤や対立を経て、概して人権感覚を高めようとしているが、これは内省的システムのおかげであり、なおかつ内省的システムは今後の教育のさらなる進展によって機能を向上させるポテンシャルをもっている。以上をもって、私は、「人間は道徳的な生物か?」という問いかけに、自信をもって「その通り」と回答することができる。
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