11月17日に、富山県中新川郡の医師会主催の講演を遠隔で行った。きっかけは、本医師会会長の寺畑医師からの依頼で、糖尿病患者のスティグマについて心理学の知見が欲しいということだった。私自身は糖尿病患者のスティグマについては直接扱っていないので、期待に沿えるのかどうか不安だったが、熟慮と直感を想定する二重過程理論の枠組みにあてはまると確信したので、お引き受けした。
スティグマとは、刻印、汚名という意味で、差別や偏見に対応している。医療においては、糖尿病や精神疾患の患者などが、個人の持つ特徴に対して、周囲から否定的な意味づけをされ、不当な扱いことをうけるという問題が注目されているようだ。とくに、糖尿病患者において、医師からは自己管理ができない人間という偏見を受け、患者自身も自分はそういう人間なんだと自暴自棄的に生活習慣を改めないという問題が起きているようだ。
私は、講演においてスティグマを偏見と差別の延長として、二重過程理論のアプローチで論じた。つまり、偏見や差別は、その多くが直感的システムの所産なので、熟慮的システムが直感的システムをどのように制御できるかという枠組みで捉えることができる。直感的システムによる、ちょっとした勘違いなどは熟慮的システムで修正が可能である。しかし、直感的システムの出力は強い感情を伴いやすく、修正されずに熟慮システムの出力と共存状態になることも多い。たとえば、熟慮システムはお守りが迷信であると判断できるが、それを踏みつけるような行為を直感的システムは許さない。恐怖を伴うタブーだからである。それと同じように、差別・偏見には、嫌悪などの感情が伴われるので、修正は難しい。
それでも、歴史的には、差別・偏見は確実に小さくなっている。とくに、第二次世界大戦後の人権意識の高揚は世界的にみられ、日本においても性差別やLGBTへの偏見はまだまだ残っているとはいえ、ずいぶんと小さくなった。この変化に気がつかない高齢者が、「昭和のオヤジ」と揶揄される事例がこの減少を物語っている。
この変化は、熟慮的システムの性能が良くなった (たとえば、ここ50年の知能の上昇を示すフリン効果など) ことに加えて、良き物語の普及が大きいと思われる。良き物語は、人々に被差別者への共感を呼び起こして、人々に大きな感情を引き起こす。人種差別のストップについては、ストウ夫人の「アンクルトムの小屋」が非常に大きな影響力をもった。共感は、人々に行動を引き起こさせる力をもつ。したがって、現在行われている、熟慮的システムへの介入である糖尿病患者へのアドボカシー活動に加えて、良き物語を見つけていくことが重要というのが私の提案である。うつ病については、細川貂々の「ツレがうつになりまして」があるが、このような物語が普及されていくのが望ましい。
しかし、物語の理解には熟慮的システムが重要だとしても、共感を生み出すシステムは直感的である限り、直感的システムの非柔軟性を引き継ぐことになる。したがって、共感対象に思い入れが過ぎると、モンスターペイシェントを生み出すなどのバランスを欠いたものになりやすい。何よりも、物語を利用して人々の行動変容を引き起こすことは、マインドコントロールであるという自覚が必要だろう。オウム真理教やナチスも、「理想」への物語で人々を扇動した。物語は、諸刃の剣なのである。