8月の22日から24日に、ソウル大学でInternational Conference on
Cognitive Scienceがあり、大学院生のS君といっしょに参加してきた。認知科学は、認知心理学、人工知能、神経科学、言語学、認識哲学の研究者が集まる学際的な領域だが、今回のこの学会は、人工知能が中心であり、また、同日程で韓国心理学会があったので、韓国の心理学者の参加者は極めて少なかった。
この微妙な時期に韓国に行くというのは、S君もちょっと心配だったようだが、反日は一部の運動家であって、普通の市民や学会は全く大丈夫ということが改めて認識された滞在だった。ホテルでも屋台でもレストラン (というよりは、入ったのはほとんど「食堂」と呼んだ方がよいような店ばかりだったが) でも、極めて私たちに好意的だった。ホテルからは、地下鉄とバスでソウル大学に通ったが、迷ったときには親切に教えてもらえた。
空き時間を利用して、ナムサン (南山) の麓にある、安重根義士記念館に行ってきた。地下鉄二号線のホイヨン (会賢) からちょっと登ったところにある。ここは2005年に訪れ、そのときは韓国の国花であるムグンファ (ムクゲ) がたくさん咲いていたという記憶があるが、その後、新しく建て替えられているようである。豊富な資料と、安重根の生い立ちから抗日運動、ハルビンでの伊藤博文暗殺までの経緯が展示されていたが、英語や日本語の説明が少なかったのが残念である。手っ取り早く知りたいなら、ウィキベディアで安重根を調べるのが近道かもしれない。
日本政府の公式見解としては、安重根はテロリストのようだが、人物像や当時の日本の朝鮮半島を保護下におこうとする動きの中で、テロリストと言い切るには無理があり、やはりレジスタンス活動家としての名誉は与えられて然るべきであろう。ただ、私も歴史の専門家ではないので判断はできないが、伊藤博文は日韓併合にそんなに賛成というわけではないらしく、その意味で暗殺は決して賢明な戦略ではなかったのではないかという議論があるようだ。おそらくその点は、記念館の展示の中では触れられていなかったと思う
(読めない韓国語の説明が多かったのでわからない)。
伊藤博文は、幕末の長州からの英国への留学生である長州ファイブの一人であり、どうすれば列強から日本の独立を守ることができるかに心胆を砕いていた。その想念は、安重根と同じものではないだろうかとも思うのだが、こういう悲劇に至ったのは残念極まりない。2人に語らせたら、いったいどんな話をしただろうかと想像にふけりたくなる。
それにしても文在寅のあの反日はいったい何なのだろうか。どうやら積弊清算や南北の統一が大きな目標のようで、反日はその手段のようにも思えるが、もう理解を超えている。ナショナリズムを掲げながら習近平や金正恩に接近するさまは、ファシズム独裁者そのものではないかとも思える。最近、朝鮮日報日本語版が、日本における嫌韓をあおるということで停止されたが、メディアに対するここまでの干渉は、人権を標榜する人間がすることかと呆れを通り越している。幸い韓国は民主主義政体の国なので、辞任または任期が切れるまでの辛抱かもしれない。
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