この3月でいよいよ大阪公立大学を退職で、3月21日に最終講義を行った。題目は、「人間は合理的なのか?ー理性はバイアスを制御できるのかー」である。この題目だけをみると、私は当初から人間の合理性という途方もなく大きな問題の解決を目指していたようにみえるが、必ずしもそうではない。振り返ってみて「そうだった」というのが実情である。なお、最終講義について、後日録画をしてストリーミングしたもののURLを下に記している。
スタートは二重過程理論とバイアスである。二重過程理論は、認知における顕在的 (意識的) 処理と潜在的 (無意識的) 処理の違いを、内省的システムと直感的システムで説明するものだが、これは、1970年、80年代のバイアス研究から発展してきた。その頃はバイアス研究が花盛りで、人間が容易にバイアスに陥りやすいということが、これでもかこれでもかと実証され、それまで人間が完全に合理的であることを想定して理論構成を試みていた行動経済学に大きなショックを与えた。これらのバイアスが、直感的システムの所産である。
最終講義では、私の研究である、マッチングバイアスへの疑義と後知恵バイアスについてお話しした。マッチングバイアスとは、「もしpならば、qである」という条件文の真偽を確かめる課題であるウェイソン選択課題で典型的に見られるものとされてきた (なお、いまだにウェイソン選択課題の誤りは「確証バイアス」であるというネット記事を時々見かけるが、それは、下記の関連記事にあるように、誤りである)。たとえば、表にアルファベット、裏に数字が印刷されているカードが何枚かあり、「もし表がEならば、裏は2である」というルールの真偽を検証するためには、「2」ではないカードをチェックする必要がある。表が「E」だったら違反になるからである。しかし、多くの人は「2」を選択し、この理由が、「2」のカードが条件文で述べられた2とマッチするからと考えられてきた。しかし私は、人間が「マッチする」というシンプルなルールで高度な推論を行うのかという疑義を抱き、「2」は、真偽を確率的に推定するための情報量の獲得が期待されるという仮説を検証した (詳しくは、ビデオ参照)。この研究は、1990年代からの、直感的システムも生存等のために適応的であってその産物であるバイアスも何らかの形で合理的であるとする進化心理学の流れの中にある。
しかし、概してバイアスは非合理的であり、私が紹介したのは「後知恵バイアス」である。後知恵バイアスとは、結果を知ったときに、実際には結果を予想できていなかったにもかかわらず、あたかも予想できていたかのように勘違いすることであり、「だから言ったじゃない」程度の会話なら笑い話で済む。しかし、後知恵バイアスは司法判断に影響を与える可能性がある。その理由は、予見可能性が過大視されるからである。悲劇的事故に対する責任は、被告がその事故を予測可能だった場合に大きい。問題なのは、目撃証言者、検察、裁判官もすべて事故が起きたことを知っていることで、もし彼らが後知恵バイアスの影響を受けると、「事故はやはり起きた、被告は予測可能だったはずだ」という判断につながる。裁判は、幼稚園教諭が園児を川遊びに連れて行き、そこで射流洪水(鉄砲水)が起きて、園児3名が流され、うち1名死亡という事故についてで、教諭3名が業務上過失致死傷で起訴されていた。検察や目撃証言は、川の水が濁り始めているということで、ここから射流洪水を予測すべきだったという主張だったが、実験の結果、射流洪水が起きたという結果を知っていると濁っていると判断されやすいことが裏付けられた。判決では、濁りの判断について責任は問われなかった。また、このような後知恵バイアスは、日本人を含めた東洋人において生起しやすいことも示された。
次の記事では、文化的合理背について触れたい。
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