2025年11月2日日曜日

文化形成・伝搬の偶然的要素と必然的要素

  現役 (本当は昨年度末にいったん退職してはいるので正確に現役と呼べるかどうかわからないが) 最後の年に、やり残したこととして、文化形成・および伝搬の偶然的要素と必然的要素の検討についての文学研究科内プロジェクを発足させた。心理学、哲学、歴史学、民俗学からのメンバーが集まって議論を重ねていくことになり、非常に楽しみである。

 「やり残した」というよりは、個人的には、私にとってはスタートかもしれない。私自身は文化形成・伝搬を、説明しようとするとき、何らかのモデルを提唱するが、このモデルは、決定論つまり必然性を目指したものである。それは当然のことで、そもそも科学全般において、「理論によって何らかの事象を説明する」ことの目標は、常に決定論で、必然的に説明あるいは予測ができなければ、理論に欠陥があることになる。

 しかし、文化形成・伝搬のような複雑な事象に対しては、最初から決定論的な理論を構成できるわけではない。それはちょうど生物学的進化が、偶然の遺伝子変異と、ある程度は決定論的な自然選択によって生ずることと似ている。生物進化のメタファーとして、ミームという造語がリチャード・ドーキンスによって導入されているが、ミームにも生物進化のメカニズムが適用されている。遺伝子変異に相当するのが文化的ドリフトで、これは、特定の文化的要素 (慣習、言語、信仰など)が、機能的・合理的な理由とは無関係に、偶然の要因で広まったり消えたりする現象である。選択圧がほとんどない状態での変化で、村ごとに異なる方言などのように、小集団で特に顕著である。自然選択に相当するのが文化的選択で、これは、ある文化的要素が、それを採用した個人や集団にとって有利だからこそ、拡散・維持される現象である。文化的要素が、適応的かどうかが鍵となり、当然かもしれないが目的合理性や機能性がある文化が残る。現代の私たちが持っているさまざまな便利な科学技術や、教育制度、書記体系などが選択を受けたといえる。

 さらに、この偶然性は、制度論 (institutional theory) とも親和性があり、制度の誕生や変化を合理性だけでなく、偶発的な要因によって説明することが重要である。制度論における偶然性には、初期の偶然的な選択が将来の制度構築に大きく影響して不可逆的な変化に結びつくパス・ディペンデンス (path dependence)、歴史のある時点で、戦争や災害などの外的要因によって制度的な分岐点が生じ、その後の安定的な制度に影響を与えるクリティカル・ジャンクチャー (critical juncture)、初期の偶然的な制度が、変更コストの高さや慣習の蓄積によって維持されるロックイン効果 (lock-in effect) がある。これらは文化的選択では説明しきれない非合理的な制度継続や地域差の理由に適用される。

 文化形成・伝搬のような複雑な事象について、単純化して必然的とされるモデルや理論を構成する方向性は必要である。しかし、それに満足していると重要な偶然的要素を見過ごしたり、無視したりする可能性がある。ただし一方で、これらの偶然性も、ミクロ的に突き詰めれば、何らかの必然的な要因によって生じている可能性もある。したがって、私たちは、単に必然性が観察不能なために偶然に見えているだけなのか、本当に偶然なのかを追求する必要がある。とてつもない大きな問題なので、偶然なのか必然なのかについての結論を導くのではなく、理論・モデル構成をしていくうえで、これらを議論したいということの提唱なのである。