2025年9月29日月曜日

第4回Human and Artificial Rationalities (1)―全般的印象

  昨年は、大阪公立大でRationalityについての国際シンポジウムを行ったため、パリでのHuman and Artificial Rationalities (3) に参加できなかった。したがって、今年は2年ぶりの参加・発表となった。思えば、第1回の3年前は、コロナの明け初めで、主催者のJean Baratginの関係者やパリ第8に関わる研究者、および日本からの数人の参加が中心だったが、今回は、フランス国内だけではなく、イタリア、スイス、スペイン、英国、米国からの研究者が集まった。もちろん日本からも、院生や私自身を含めて7名が発表を行った。

 第1回や第2回は、Human and Artificialというタイトルがありながら、どうしても心理学を専門とする発表者が多く、人工知能研究とのかかわりにしても、新しい生成AIとどう付き合っていくのかといったテーマの発表が散見されただけだった。しかし、今回は、AI研究者だけではなく、AI哲学の研究者の発表がかなり多くなった。そして、こちらとしては非常に嬉しいことなのだが、彼らの中の多くが、心理学の研究成果に興味をもってくれていたことである。

 AI側の研究の多くは、LLM (large language model) のエージェントを用いたものである。たとえば、今回のキーノートの一人であるMirco Musolesi の講演は、Modeling Decision-making in Societies of Humans and AI Agentsというタイトルで、AIによる繰り返しがある囚人のジレンマゲームを扱ったものだった。囚人のジレンマゲームとは、協力か裏切りかの意思決定を求められるもので、相手が協力を求めるときに自分が裏切ると自分の大きな利益になり、逆に自分が協力しようとて相手から裏切りに合うと大きな損失になる。そして、双方とも協力だと中程度の利益があり、双方とも裏切りだと中程度の損失となる。このゲームを反復する中で安定的に利益を得るためには、双方とも協力という選択が望ましいが、それにAIがどのように到達するのかというのが議論されていた。LLMによって深層学習を行うAIの複数のエージェント (multi-agent system) は、ある環境で協力や裏切りなどを行うと、それに応じた報酬 (損失も含める) を受け取る。それを何度も何度も繰り返すと同時に、エージェント間での相互作用を行わせるわけである。さて、モラルの意思決定には、ベンサム流の功利主義と、カント流の義務論主義がある (功利主義的になると利得に目が行き、義務論的になると、「裏切りはいけない・許せない」となる) が、Musolesiの研究では、これらが明示的にトップダウン的にAIに教えられ、繰り返しによる報酬・損失の経験がボトムアップ的に複数のエージェントに深層的に学習される。そうすると、LLMのエージェントの中で、功利主義的か義務論主義的かという次元が構成され、LLMはある場合には非合理的にふるまったりもする。これは、AIが、人間の行動と社会を研究する新しいツールになりうることを示している。

 Human and Artificial Rationalitiesは、来年からも続けられる予定である。生成AIが、合理性の心理学の研究と今後どのようにかかわってくるのか、期待を感じさせる大会だった。

2025年9月11日木曜日

総理大臣の資質とはー素人による政治談議

  石破総理大臣の辞任が決まったようだ。個人的には、実は、あの持って回った言い方が嫌いで、ほとんど期待していなかったが、この外交的な難局をうまくかじ取りしたのではないかと思う。また、物価高の中で最低賃金の上昇も、経済の停滞もあまり招かずにある程度は成し遂げるつつあるのではないかと思う。

 さて、私が個人的に総理大臣に望むのは、第一に外交能力であり、第二にSDGを考慮しながら経済と産業を発展させることができるパースペクティヴをもっていることである。もちろん政治の左派か右派かという本質は、税金として集めた金を、再分配にどの程度使うのかという点にあるが、これは副次的なことだ。

 外交については、ロシアと中国という独裁覇権的枢軸国やそれに加わった北朝鮮に地勢的に近く、かつ中国との経済関係をあまり破綻させたくないという困難な状況で、さまざまな課題に直面している。これらすべての国が民主的で国民が豊かな国に生まれ変わることができるなら最良である。つまり、現体制を転覆させることができる戦略があれば良いのだが、そのためには他の国々とどのような連携を組み、どのような形で枢軸国の覇権的行動を抑止するのかを模索していく必要があるし、あるいは政権転覆のチャンスを逃さないことも重要かもしれない。差し当っての目標は、ロシアにウクライナ侵攻を止めさせることと、中国による台湾侵攻を思いとどまらせることだが、短期的な目標と長期的な目標をどのように設定するのかは重要だろう。

 内政にしても、課題は山積している。この30年の経済の停滞によって、最先端のITなど多くの日本の優位性が失われた。これらが如実に反映されていてショッキングなのは、一人当たりのGDPの世界での順位が著しく低下していることである。G7の最下位だったイタリアだけではなく、スペイン、韓国、台湾、プエルトリコ、スロベニアにも抜かれた。スロベニアは旧共産圏で初めて日本を追い越した国となった。もちろん、この理由として、日本が物価高に対して世界の優等生だったこともあるだろうが、それが低賃金に支えられているという悪循環からなかなか抜け出せなかったのだ。さらに、国が貧乏になって、論文生産数に反映されるように研究活動が停滞し、それがITなどの新技術創出を阻害している。

 総理大臣は、このような問題に合理的かつ総合的に対処できる資質をもった人を望みたい。それぞれの課題は専門家に任せるとして、それらを総合的に俯瞰できる人物が必要である。中国はその動向を常に監視しなければいけない独裁専制の国だが、国粋主義的な対峙しかできない人は総理大臣には不向きである。現在、北朝鮮の動向に神経を尖らせている韓国や、フィリピン、インドネシア、さらには米国、オーストラリアなどと連携していく必要があるとき、国粋主義は不要であり、日本は歴史修正主義にかじを切ったと疑われるのは得策ではない。また、さまざまな問題に対処するのに、総合的に俯瞰できないままに妙に実行力だけが伴ってしまうのも怖い。以前、プラスチックごみが問題視されていたときに、レジ袋有料化を推進した政治家がいたが、これだけ何も考えずに実行するのかとかなり恐怖を感じたのを覚えている。経済の進展と環境保全は、どうしてもトレードオフになるが、どこでウィンウィンにできるのかなど、やはり全体を俯瞰しないと政策は決定できない。このような政策決定には、重回帰方程式などを用いたシミュレーションが必要なはずだ。このシミュレーションにおいて、どのようなパラメータを考慮すべきなのか、またパラメータの重みを推定するためのデータとして何を参照するのかといった議論にはかなり学力を必要とするのだが、その学力が欠けていると、実行力の暴走になる。端的に、思考心理学の用語を適用すると、全体的 (ホリスティック) かつ分析的 (アナリティック) な思考能力が必要なのだ。次期総理大臣には、そのような資質を有する人物が選ばれることを切に願っている。