2024年の大河ドラマは、源氏物語の作者の紫式部がヒロインで、典雅な劇中劇などを期待していたが、良い意味でかなり期待は裏切られている。時代が古いにも関わらず、ロバート秋山が演ずる藤原実資 (良い味を出してますね) の『小右記』をはじめとして、多くの日記や記録が残っており、それをもとに当時の人間だったらどのような感情を抱くだろうかという巧みな推論で詳細を埋めるようにして物語が作られていて、ヤワではない面白さを醸し出している。
私の古典の知識は、高等学校の時に授業で読んだ (読まされた?) 『枕草子』からほとんど前進していない。『枕草子』では、伊周は涼やかな教養ある貴公子として描かれていて、私の中では「この世をば 我が世とぞ思ふ、、」の道長よりはずっと印象が良かったはずなのだが、『光る君へ』では完全に逆転してしまった。長徳の変も日本史で学んだはずなのだが、あまり記憶に残っていなかった。
今更と思われるかもしれないが、新たに学んだのは、源氏や平氏の位置づけである。彼らは、清和源氏や桓武平氏などと呼ばれて天皇家から臣籍降下したことは知っていたが、私の旧い知識では、それがいつの間にか少なくとも平清盛が若いころには藤原氏の下位に置かれ、武家の棟梁として再度力を持つようになるのは平安末期から鎌倉時代と思っていた。
しかし、やはり臣籍降下したといっても天皇家の一族である。『光る君へ』において藤原道長の権力掌握の中で、バックとなった舅の源雅信の力はかなり大きかったようだ。この雅信を、益岡徹が見事に演じた。以前のブログで、益岡さんについて「気弱な中年男を演じさせたら絶品」と記したが、『光る君へ』では、宇多源氏としての誇り・矜持を保ちながら、内裏では藤原氏に気を遣い、家では妻と娘に頭が上がらない雅信を、非常に魅力ある人間として演じた。ナンバー2の左大臣でありながら、「源氏は高位を望まない」と、下位であるはずの右大臣の藤原兼家 (道長の父) に睨まれないように汲々としていたのが感じられた。元は天皇の一族といっても、親王の数は多く (たとえば、源明子の父で、安和の変で失脚した源高明には、10名を超える親王の兄弟がいる) 高位を狙うと、失脚・左遷あるいは落命のリスクがあったのだろう。極めつけは、吉田羊演ずる、一条天皇の母であり道長の姉である詮子に無理難題を吹っ掛けられてアタフタしたシーンである。詮子が目を据えて嘆願 (あるいは命令?) するのに対し、雅信は目を泳がせながら必死に弁明しているさまに、思わず「益岡さん、話すときは相手の目を見てください」と心の中で呟いてしまった。このシーンが、天皇の母と左大臣という地位によるものなのか、詮子や雅信のパーソナリティによるものなのか、つまりは史実にどの程度合致しているのか私にはわからない。しかし、吉田さんが演じてきた女性と益岡さんが演じてきた男性という対比でみれば、何やら当然のシーンではないかと思えてしまった次第である。