2022年6月13日月曜日

特定の民族の残虐さは民族がもつ遺伝子の影響?―ヴァイキングという反例

  前回の記事では、ロシアあるいはソビエト連邦軍の人命軽視の文化的伝統を指摘したが、では、この民族差は遺伝子が何らかの影響を与えた結果なのだろうか。この可能性はゼロではないかもしれないが、それ以上に、特定の民族の何らかの特徴は、環境に対する適応の結果と考えるのが妥当だろう。

 例として、拙著『日本人は論理的に考えることが本当に苦手なのか』において記した、北欧のヴァイキングを取り上げよう。ヴァイキングとは、8001050年頃、西ヨーロッパ沿岸から地中海までも襲撃・侵略した、バルト海やスカンジナビアに住む武装集団である。子孫は、現在のノルウェー、スウェーデン、デンマークなどに住む。彼らが、自分たちには勇敢なヴァイキングの血が流れていると誇りに思うかどうかは別として、その後はほとんど戦争や侵略を仕掛けることはなく(実際、スウェーデンは、戦争をしない状態が最も長く続いている国の1つである)、また、相互扶助を基盤とする高福祉国家を作り上げている。彼らは、民族として、勇敢で攻撃的で、ときには残虐な特徴をもっているのだろうか。もしそうだとすれば、現在のこの高福祉国家としての相互扶助の他者への優しさは偽りなのだろうか。

 ヴァイキングは、その多くが農民または漁民で、810世紀の北欧は、貧しい土壌と不安的な気候で、農業による安定した食糧確保ができなかった。しかし幸い、トナカイなどの動物や森林資源が豊富なので、大きな船を建造して毛皮を主産物として他のヨーロッパの人々と交易を行うことによって利益を得ることができた。交易によって不作の年をしのぐことができる。しかし、交易が不調に終わったときは、武器をとって略奪を行なった。この時代は、ヨーロッパの国々の王権も強くなく、略奪の対象になったキリスト教寺院などは、軍事的に無防備に等しかったので、略奪が容易だったのである。しかし、略奪も、戦略としてリスクが高くなると用いられなくなる。王権が強くなり、被略奪側の軍備が整ってくると、有利な戦略ではなくなっていった。

 略奪行為に代わって用いられたのが、相互扶助という戦略である。不安定な気候条件下で、飢饉の年があっても、そのときに豊作だった他の地域の農民が食料や作付けなどの援助を行うという社会契約が成立すれば、不安定な気候でも相互に生き残ることができる。こうして、1866年に世界で初めての農業協同組合がデンマークにおいて結成されたが、この相互扶助という考え方が、現代の高福祉国家に結びついている。したがって、略奪と相互扶助は、不安定な気候に対処する戦略の裏表であり、北欧の人々に好戦的な血が流れているわけでも、互いを思いやる利他的な遺伝子が共有されているわけでもない。

 ヴァイキングの例は、民族差と考えられる多くの現象・集団的行動が、その時点での自然的、生態的要因によって生じていることを雄弁に語っている。北欧の人々は、現在では高福祉国家を形成して平和に暮しており、ヴァイキングとしてヨーロッパを荒らしまわった民族の子孫とは思えないほどである。しかし、略奪行為も、高福祉も、不安定な気候という厳しい自然条件への適応の裏表であり、どちらが選択されるかは些細な条件次第なのである。