去る11月27日と28日に、大阪市立大学で日本理論心理学会第67回大会を開催した。理論心理学会は、心理学系の中では日本で3番目に古いが、会員数は多くはない。心理学の研究者で、「社会心理学」や「認知心理学」が専門という人はそれぞれの学会を主戦場にしていると思うが、「理論心理学」が専門という人はほとんどいない (私もそうではない)。そうすると、「○○心理学会」が乱立する中で、理論心理学会まで足を延ばす人はどうしても少なくなるというのが現状だろう。
しかし、この学会は、日本の心理学のレジェンドのような先生が会員に多く、少人数でそのような先生方と議論できるという非常に恵まれた学会であるということを、今回改めて認識できた。67回大会は、6件の口頭発表以外に、理事会企画シンポジウム、準備委員会企画シンポジウム、基調講演が企画されたが、全体的にはこじんまりとしたものであった。
理事会企画シンポジウムは、楠見孝先生の企画によるもので、「共感覚と多感覚統合」がテーマである。出発点は、「黄色い声」のように、ある感覚を表すのに異なるモダリティの表現が用いられるという共感覚比喩の解明である。なぜ聴覚的特徴を表すのに、「黄色い」のような視覚的モダリティの表現が借用されるのか。その回答の1つに、共感覚がある。つまり、そのような声を聴くと、黄色い色が見えてくるという共感覚によって生じているのではないかという解釈である。しかし、話題提供者の横澤一彦先生によれば、実際には、そのような共感覚も持ち主は決して多いわけではない。そこで提唱されるのが、共感覚の有無という二分法でとらえるのではなく、その強弱の問題として一次元でとらえる視点である。この一元論者たちは、共感覚より弱い感覚間協応という現象に目をつけたが、これを弱い共感覚と位置付けたわけである。感覚間協応とは、音の高低と色の明暗の対応で、これは多くの人に共通で見られる現象である。
しかし、横沢一彦先生が実証された共感覚の特異性や、もう一人の話題提供者である日高聡太先生の多感覚統合についての知見から、この一元論には無理があるという暫定的結論が下されるに至った。共感覚比喩、感覚間協応、共感覚を一次元でとらえるのではなく、二元論あるいは多元論でとらえて、それぞれにおける認知的メカニズムを解明していくという方向づけがより適切な研究戦略ではないかということが提唱されたわけである。とくに、それぞれにおいて特有な個人差や、自閉症あるいは自閉症スペクトラムとの関係が見いだされていることを踏まえると、シンプルで魅力的な一元論は棄却せざるを得ない。これらの研究は、ここで終わりというよりは、むしろ更なる困難が待ち受けているという印象であった。それを聴衆とともに確認できたというのは、非常に有意義であったと思う。
なお、理事会企画シンポジウム以外の企画については、次の機会に触れてみたい。