川の水が濁っているかどうかの判断に、射流洪水が起きたということを知ったことによる後知恵バイアスが起きるのかどうか。当初は、裁判における司法判断に役立つ情報を提供ということが目的だったが、これを研究としてまとめるにあたって、意外に理論的な貢献があったということに気がついた。後知恵バイアスの理論的説明にはいろいろあるが、基本はHawkins & Hastie (1990)の因果モデル理論である。この理論は、予測が行われるときには因果律についてのモデルが心の中で構成されることを想定している。たとえば、米国の選挙においてトランプが勝つと予測したときは、岩盤支持層がいるからという因果モデルを構成する。ところがバイデンが勝ったという結果を知ると、トランプのやり方に危機感を抱いた人がやはり多かったという、バイデンの勝利の根拠へのアクセスが潜在的(無意識的)に行われ、その根拠からバイデンが勝つという因果モデルが構成される。これらの因果モデルの更新は潜在的に行われるため、トランプの岩盤支持層の因果モデルはいつの間にか抑制され、選挙前にそのようなモデルを心の中に抱いていたという記憶が想起できない状態になっているわけである。
この裁判では、私が証言する前の公判において、射流洪水の30分前に水はすでに濁っていたという目撃者による証言があったようだ。この証言が後知恵バイアスによるものならば、因果についての記憶の更新として因果モデル理論を適用できる。しかし、事件を目撃しなかった人々の中にも、裁判の証拠となった30分前に撮影された川の写真を見て「濁りがある」という主張があったのである。この写真を見ただけで起きている後知恵バイアスは、因果モデルの記憶の潜在的な更新という想定では説明ができない。これは知覚的後知恵バイアスと呼ばれるものだが、意外にこのような研究はあまり行われていなかった。似たような例に、肺のレントゲン写真において肺がんの初期の結節影を発見できるかどうかというものがある。1980年代の調査では、このレントゲン写真が肺がん患者のものであると教えられると、結節影の検出が容易になり、知覚的(視覚的)後知恵バイアスの例とされている。この例は、s/n(シグナル/ノイズ)比の調節、すなわち、肺がん患者という情報が与えられると、わずかな結節影も見逃さないようにしようとする視覚的探索によって説明がなされる。確かに、この裁判の水の濁りの例でも、わずかな濁りを見逃さないようにという視覚的探索が行われたといえる。しかし、そこから「濁っている」と判断を下すのは、やはり後知恵バイアスなのである。
前回の記事で述べたように、私たちの実験でも、「30分後に射流洪水が起きた」と教示された実験グループの参加者は、それを知らなかったとして判断をして欲しいと要請されているにもかかわらず、濁っていると判断する傾向にあった。因果モデルでは、予想外の結果を知ったときに、その情報がなかったときに構成した因果モデルを想起できないことによって後知恵バイアスが起きていると説明されているが、これを知覚的後知恵バイアスに適用すれば、結果の情報が与えられると、その情報がないときの知覚を想像できないことによって知覚的後知恵バイアスが生起していると説明できることになる。これは、私たちの研究による、新しい理論的発展なのである。
Hawkins, S. A., & Hastie, R. (1990). Hindsight: Biased judgments of past events after the outcomes are known. Psychological Bulletin, 107, 311-327. doi: 10.1037/0033-2909.107.3.311
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