あと1か月ほどで、新曜社から上記のタイトルの拙著が出版される (アマゾンでは、すでに予約受付が始まっている)。これまで、この内容を小出しにここで書いているが、出版後は、議論をしながら改めて紹介していきたいと思う。以下が前書きである (謝辞は削除している)。
はじめに
世間一般に流布している信念が、研究者間での常識と食い違っているということは数多くあるが、現代では人々がモラルを失い、殺人や争い等も増えたという言説もその代表的なものだろう。さすがに最近はそういう報道は少なくなったが、世間を揺るがす殺人があるたびに、現代社会の病理であるとか、豊かになった現代人は精神が貧しくなったなどと論評されることが非常に多かった。今でもインターネットで検索すると、現代は豊かさの中でモラルが失われた時代だという主張が恐ろしい数でヒットする。
しかし現実には、現代は殺人が激減しているということは、歴史統計学者や人類学者の間では当然のこととされている。一九九九年に日本語訳が出版された、マーティン・デイリーとマーゴ・ウィルソンの共著である『人が人を殺すとき―進化でその謎を解く』においても雄弁に語られている。それにもかかわらず、そのような専門書は人々やメディアの目に触れることは少なく、あいかわらず、太古の昔には人類は平和に暮らしていたが、貨幣や武器の発明とともに凶暴になり、さらに現代ではハイテクで人間性が失われてしまったと信じている人は多い。そして、そのような言説と、本書のタイトルにある「生きにくさ」が結びつき、「現代人は精神が貧困になり、私たちは生きにくさを感じるようになった」という神話が生まれているのだと思う。
タイトルにあるように、私は「生きにくさ」自体は否定していないが、過去の人類史からみれば、それでも現代はすばらしい文明の時代だと思っている。実際、人類の三大難敵である、飢餓、疫病、戦争は20世紀後半以降かなり姿を消した。戦争だけではなく、暴力も随分と減少した。精神が貧困になっているどころか、差別等は明らか小さくなっている。それにもかかわらず、私たちは、この現代に何か「生きづらさ」を感じている。これは単に主観的な印象だけではない。豊かになった一方で、自殺者は決して減少してないが、これは「生きにくさ」の客観的な指標になりうる。
この問題に対して、本書は、人間の精神における、「進化的に古いシステム」と「進化的に新しいシステム」を想定する立場からアプローチしている。進化的に古いシステムにおける処理は、速いのだが固定的で柔軟性を欠き、怒り・恐怖や喜びなど強い感情と結びついている。一方、進化的に新しいシステムは認知の容量が大きくなって可能になり、柔軟な思考を可能にしてくれる。したがって、文明化の人類史は、この進化的に新しいシステムによる古いシステムの制御の歴史ともいいかえることができるわけである。
この視点から論じようとすれば、どうしても進化心理学的あるいは文明史的な議論が必要になってくる。その意味で、本書は、ビッグ・ヒストリー志向の書籍である。とくに本書の中で私は、現在の豊かさの源泉は、進化的に古いシステムにおける、人類を協同と分業へと向かわせるメカニズムにあるという視点を明確にしている。そして、進化的に新しいシステムは、この協同と分業が柔軟に行われるようにしてきたといえるのである。分業は、専門化によって生産等を効率的にしてくれるので、現代の豊かさをもたらしてくれている。
この分業の大規模化がグローバル化であるといえるわけである。そして、本書では、ひきこもりなどをうむ現代の「生きにくさ」は、このグローバル化の中にあると主張されている。ただし、本書の趣旨は、このグローバル化をストップさせるのではなく、このグローバル化環境において適した文化を創生していこうというものである。グローバル化は、現実にはいろいろと局所的な問題をもたらしてはいるが、戦争の抑止という点でも、分業の効率化という点でも、この方向性の否定をするべきではない。